『歎異抄』と福音 第十二回 親鸞一人がためなりけり
大和昌平
◇「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。」(第二章)|いかなる行もなしえないわが身にとっては、地獄は定めてわが住まいなのです。
近代青年の恋や性の悩みを背景にして、この親鸞の言葉により『歎異抄』が広く読まれるようになったことは興味深い。さらに、人間の根源的な悪を見据えるような親鸞の言葉に、キリスト者の強い関心が向けられることになる。
母の実家であった真宗寺院で生まれた佐古純一郎(一九一九~二〇一四)は、出産後に母が亡くなったため、住職の伯父の膝下で育った。長じて文芸評論で名を成すが、日本キリスト教団中渋谷教会で受洗し、その教会の牧師職を務めた人でもあった。佐古が仏教界の雑誌『大法輪』に連載し、教文館から単行本として出版された『親鸞|その宗教的実存』(一九六七年)は、初々しい緊張感に満ちた好著だ。牧師就任の年に出されたこの本の「あとがき」に、佐古は曰く言い難い親鸞への思いを吐露している。
「福音信仰に入ってからも、親鸞に対する私の敬慕は少しも変わらない。しかし、それはイエス・キリストに対する信仰とは本質的に違うのであって、けっして二人の主に仕えるということではない。」
いかにも佐古純一郎らしい、私の好きな言葉である。彼はこの本において「地獄は一定すみかぞかし」との親鸞の叫びを、「結文」の次の一節に結んで論じている。
◇「聖人のつねのおほせには、弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。」(結文)|親鸞様が常々仰せられたことに、阿弥陀仏の途方もなく長い間の思惟の結果である本願をよくよく考えてみると、ひとえに親鸞一人のためだけのものであったのだ。
ここに佐古は、「宗教の本質としての根源的体験の世界」があるという。自分の地獄行きは決まったという自覚には、他の人との比較はもはやない。自己の悪の底知れぬ深さをひとり嘆く親鸞にとって、そんな悪人を極楽に往生させたいとの阿弥陀仏の願いは、本当に私のためだけのものだと思えてきたのだろう。副題である「その宗教的実存」が、佐古の親鸞論の核心を語っている。
ひるがえって、パウロが自らを「罪人のかしら」(Ⅰテモテ1・15)とまで卑しめたことも、逆に「私の福音」(ローマ2・16)と自信に満ちて大胆に語ったことも、ひとり神の前に立っていたからだろう。
「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」(ガラテヤ2・19、20)
後年、『パウロと親鸞』(一九八九年)という講演録を出した佐古は、この聖句を引いて語っている。
「これがいうなれば『パウロ一人』ということなのです。『わたしはキリストと共に十字架につけられた』つまりキリストは私を愛し、私のためにご自身をささげられたのですから、本当に十字架は私のためだったのだ、ということなのです。」
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西田幾多郎とカール・バルトに師事した、神学者で哲学者でもあった滝沢克己(一九〇九~一九八四)は、『歎異抄』を座右の書としていた。殊に「ひとへに親鸞一人がためなりけり」の一節に触発されて、『歎異抄』全体を論じる『「歎異抄」と現代』(一九七四年)を書いている。
滝沢は、最初に次のように述べている。
「まず第一に、『弥陀の本願』は、他のだれのためでもなく、ただただ親鸞ひとりにだけ懸けられた願であります。しかしまたそれだけにここには、うっかりと読み過ごすことを許されない|そこを誤るとすべてが間違ってしまう|重大な問題が含まれているように思われます。」
「親鸞ひとり」に含まれる三つの重大な問題があるという。第一には、そこに戒律主義や律法主義からの解放があるということ。第二には、そこには絶対的な平等があって、人と比べることはもはやいらなくなるということ。第三には、宗教における主体性の問題、すなわち、阿弥陀の本願を自ら選択したことは、阿弥陀による「大いなる決定」であると、難しい議論を行っている。
これらの問題はすべて、佐古が親鸞における宗教的実存と呼んだものだろう。すなわち、「地獄は一定すみかぞかし」との徹底した己の悪の認識にしても、阿弥陀の本願は「ひとへに親鸞一人がためなりけり」との実存的な受け止めにしても、親鸞は宗教における根源的な体験を語っていると、佐古も滝沢も評価しているのである。
阿弥陀仏が神話であるという議論は措いて、その宗教的体験の深さにおいて親鸞を評価すべきであると私も思う。日本人として宗教者親鸞の深さを知ることは、福音信仰を深め・広めることに繋がるのだと考えたい。