砂漠の花園 第8回 焼けつく土地でも、潤った園のように
フォトグラファー サンティラン 前田登茂恵
ビーバーのしっぽがたくさん集まったようなビーバーテイルサボテン。その一つのビーバーのしっぽのような形をしたサボテンに、花のつぼみが3~5個くらい付くのですから、しっぽが10個集まったサボテンなら、一つのサボテンに30~50個のつぼみが付きます。ほんの1週間くらいの間にそれらのつぼみが一斉に花を咲かせ、一つのサボテンに30個から50個ほどの鮮やかなピンクの花が咲くのですから、それは見事な美しさです!
私はサボテンの花が大好きです。サボテンの花は、トゲトゲの人間でも、美しい神に似せられた者へと変えられること、でもその過程で荒野を歩まなければならないことなど、まるで私に聖書のみことばの真理を見せてくれるようです。神は時として、私たちに人生の荒野を歩ませます。それは、「人はパンだけで生きるのではなく、主の口から出るすべてのもので生きる」ことを学ばせるため、私たちを神の子として「訓練」するため、そして、「良い地に導き入れ」るためです(申命記8・2―7)。
荒野の焼けつく土地で、私たちは渇ききって主を求めます。そして、神のみことばを見つけて「食べ」、それが「楽しみとなり、心の喜び」となることを学びます。主が「疲れたたましいを潤し、すべてのしぼんだたましいを満ち足らせる」お方であると学びます(エレミヤ15・16、31・25)。主は、霊の戦いに備え、「私に力を帯びさせ」、「高い所に立たせ」、「私の手を鍛え……青銅の弓も引けるように」訓練します(詩篇18・32―34)。「苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出」(ローマ5・3、4)すので、主は「私たちの益のために、私たちをご自分の聖さにあずからせようとして」、「平安の実を結ばせ」ようとして訓練します(ヘブル12・10、11)。私たちが「神のご性質にあずかる者となるため」にです(Ⅱペテロ1・4)。私たちはその過程で、自分の力ではない聖霊の満たし、自分のうちから「永遠のいのちへの水が湧き出」ることを体験するのです(ヨハネ4・14)。
「主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の涸れない水源のようになる。」(イザヤ58・11)