私はこう読んだ―『聖書 新改訳2017』を手にして 長血の女性の箇所を読む
第7回評者 大嶋裕香
東京都生まれ。上智大学文学部卒。鳩ヶ谷福音自由教会会員。
私はディボーション、聖書通読には新改訳第三版を使っています。大学一年生で信仰をもったとき、母教会で使用していたのは口語訳でした。その後新改訳を使用するようになりましたが、文語訳の力強い響きも好きで、国文学の古典を勉強していた大学生のころは、文語訳で暗証聖句をすることもありました。このようにいろいろな訳の聖書を読み比べていると、時折、新鮮なみことばの響きに出会い、はっとさせられることがあります。
なんといっても一番慣れ親しんでいるのは新改訳第三版(以下第三版)ですが、今回『新改訳2017』(以下2017)と読み比べると、訳の違いによるさまざまな気づきがありました。マルコ5章25節からの長血の女性の箇所を読み比べてみたいと思います。
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「長血」とは、婦人特有の出血する病気です。長年婦人病に苦しんできた女性は、医者からひどい目にあわされ、財産も使い果たしていました。この病気は宗教的に汚れていると見なされていて、女性にさわる者も汚れると考えられていたので、人前に出ることも避け、孤独な女性だったと考えられます。その女性がイエス様に会いに行き、信仰をもって着物に触れたとたん、癒やされたという箇所です。
欄外注の充実
まず25節。第三版では「ところで、十二年の間長血をわずらっている女がいた」と始まりますが、2017では、「そこに、十二年の間、長血をわずらっている女の人がいた」と訳されていて、丁寧な柔らかい印象を受けました。その後も第三版では「女」と訳されるのに対し、2017では「彼女」と訳されています(26、33節)。
また、全体的に2017は、欄外注が充実している印象を受けます。引照聖句や直訳が詳しく載っているのです。これは、一人で聖書を読む時に非常に役立ちます。欄外注は第三版でも充実していて、27節は、2017では「彼女はイエスのことを聞き、群衆とともにやって来て、うしろからイエスの衣に触れた」と訳されています。それに対し、第三版では、「彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった」と訳され、欄外注には「あるいは『上着』」と記されています。注を読み比べてみても、聖書を読む楽しさを味わうことができるでしょう。
原典に忠実
次に、28節。2017では原典に忠実に訳されています。第三版では「『お着物にさわることでもできれば、きっと直る』と考えていたからである」。一方、2017は「あの方の衣にでも触れれば、私は救われる』と思っていたからである」。どちらも欄外注に「直訳『言っていた』」と記されています。
これは34節のイエス様の言葉でも、第三版では「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです」とあるのに対し、2017は「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです」と訳され、2017のほうが「救う」と、原語を直訳した訳になっています。「病気が直った」というだけでなく、彼女が「全人格的に救われた」という印象を受けます。
そして、これに続くイエス様の言葉は、第三版では、「安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい」とあるのに対し、2017では、「安心して行きなさい。苦しむことなく、健やかでいなさい」です。
「苦しむことなく」という言葉は、彼女の今までの苦しみ―病気にかかったことで得た身体的苦しみ、医者からひどい目にあわされたという精神的苦しみ、全財産を使い果たした金銭的な苦しみ、汚れていると見なされていた社会的、宗教的苦しみなど、さまざまな苦しみをイエス様は知っていてくださったのだ、その苦しみからの解放の言葉を彼女はイエス様からかけてもらったのだ、と思わされました。その前の「安心して行きなさい」という言葉も、なんと慰めと希望に満ちた言葉でしょう。
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新しい訳でこの箇所を読んだことにより、多くの気づきがありました。2017の帯には「最新の聖書学に基づく翻訳 原典に忠実+自然な日本語」と書いてあります。新鮮で麗しいみことばの体験のために、今後も2017を用いていきたいと思わされました。