パラダイムをひっくり返す「非常識さ」

『増補改訂「べてるの家」から吹く風 』
向谷地生良 著

四六判 1,400円+税
いのちのことば社

日本キリスト教団 京葉中部教会 牧師 山本光一

著者の向谷地生良さんは、弁が立つほうではないし、世渡りがうまい感じもしない。いつ会っても飄々とし、都会で見かける起業家のようすとはまったく違う。しかし、向谷地さんが精神障害をかかえた当時者とともに立ち上げた「べてるの家」は、精神医療・社会福祉・キリスト教会のパラダイムをひっくり返す「非常識さ」で注目を浴び、高い評価を得ている。
一九七八年、向谷地さんはソーシャルワーカーとして浦河に赴任した。向谷地さんは地域から蔑まれた「第七病棟」(浦河日赤精神科病棟)の患者さんのところに足を運び、薬物・アルコール依存の問題を抱える崩壊寸前の家庭に足を運んだ。この町に大勢住むアイヌ民族の家庭はこの問題が顕著であった。この町は、抑圧された人々が誇りと主体性を失う歴史を負うていた。
この本の主役は、統合失調症を病む「べてるの家」のメンバーである。二十九の読み切りの章で構成され、それぞれが福音書の物語のように若干の状況説明があり、メンバーと向谷地さんの会話を中心に話が展開される。会話であるから統合失調症に関する難しい用語は一切なく、しかし、その会話の中に、回復へと導く輝く言葉があって、この本の魅力となっている。
この本のキーワードは「絶望の仕方」であるように思う。わたしにも三十九年間統合失調症に苦しむ弟がいる。三十九年前、わたしの家族は絶望的であった。統合失調症は幻聴に苦しめられる。「べてるの家」のメンバーは、一人を孤立させず、一緒に絶望し・悩み・苦労してしまうのである。そこから、例えば「幻聴さん」という言葉が編み出され、幻聴さんとうまく付き合う方法が「共同研究」される。
この本は、二〇〇六年の版に「バングラデシュ突然在宅訪問記」が加えられて「増補改訂」となっている。べてるの家は、初の海外在宅訪問先でも見事に通用している。医療が充実していないお陰で、地域とくらしの中で回復する「べてるの家」方式が、かえって通用したのかもしれないと思った。