新鮮な感性、知性が光る思索を素のままで語る真実味
『こころの「雑談外来」本日も診療中。―ひきこもり院長のつれづれ日記』
芳賀真理子 著
B6変判 1,300円+税
フォレストブックス
船橋市立医療センター 精神科 部長 宇田川雅彦
本書は、心療内科・精神科クリニック「駒込えぜる診療所」の院長、芳賀真理子氏がクリスチャン精神科医として日々の思索を綴ったユニークなエッセイである。自身を「拙者」と呼ぶなど風変わりで素朴な文体だが、病名や専門用語など難しい言葉はほとんど出てこない。
二部構成で、一部においては自称「ひきこもり院長」がクリスチャンになった心の道のりと診療所の立ち上げなどが紹介される。二部では著者のブログをもとに、素朴な雑談風に、それでいて意表を突く視点を切り口に思索する。「緩い」タッチの文章の中に、“信頼できるクリスチャン精神科医”の姿を見たように思う。左記の文章が印象的だ。
「人と関わるというのは、肉体や精神だけでなく、霊的なものも含めて関わる」(八六頁)、「聖書には、いつまでも残るものは信仰と希望と愛だと書いてあるです。神の子としてくださる御霊を受けたからには、『希望』にかけ、平和を守り続け、作り続けたい」(一〇六、一〇七頁)、「『ココロの診療所』という場所柄、楽しい話より悲しい話、悔しい話が圧倒的に多いのです。……そういうときには、怒る人と一緒に怒り過ぎずしてフーフー冷ましつつも、その奥にある悲しみを感じ取り、その悲しみの内に拙者自身がとどまるよう努力します」(一六七、一六八頁)
クリスチャンとなって新しい命を生きる人生は「余生を生きる」ようだという。震災直後から東北の被災地を地道に援助し続ける姿や、待合室で聖書勉強会「東京えぜるん」を開き続ける姿にも、一貫してクリスチャンとして「余生を生きる」姿がある。ユニークな視点から湧き出る新鮮な感性、知性が光る思索を素のままで語る真実味、聖書のことばとクリスチャン医師としての潔い生きざま。これらの要素を縦糸にして、縁側でお茶を飲みながらまったりと雑談するようなエッセイを綴れる人はそうはいまい。
きっと「駒込えぜる診療所」の「雑談外来」には、今日もホッと一息つける居場所を求めて訪れる人がいるだろう。本書は、居場所のない生きづらさを抱える心に「そこに居てよし」と声を掛けるような読後感を与えるだろう。