時代を見る眼291 聖書の言葉を生きる [3] 小さな信仰の種から芽生えたもの

日本オープンバイブル教団
墨田聖書教会 牧師夫人
文筆家
宮 葉子

洗礼の学びを始めるとき、いつも相手に伝えることがある。「ノートを一冊用意してね」。礼拝のメッセージはもちろん、心に留まった聖書のことばや、その時の思いを自由に書くためのものだ。「あなたの信仰を支える財産になるから」と真顔で言えば、書くことに疎いユースであっても、まずは真面目に取り組んでくれる。
これは、信仰の師匠である伝道師から、私自身が受洗前に教えられたことでもある。カルガモの雛さながらよちよち後を付いていた私を、彼女はよく部屋に招いてくれた。信仰の軌跡を綴ったダイアリーが、大きな本棚に何冊も並んでいた。特別な一冊は引き出しの中にしまわれていると教えてくれた。試練を乗り越えてきた証しの数々と赤裸々な思い、支えとなった聖句がぎゅっと詰まって詰まっているらしい。事毎に開いては、神のことばは真理なのだと確かめ、励ましを受けるという。
神の国、いわば「ナルニア国」の扉を押し、アスランに出会った喜びをもち続けていけたら。誰だって人は変わり、成長したいと願うものだ。でも、それが一番難しい。神は人を見放さないが、私たちのほうで神の手を離してしまう。その時こそノートの出番だ。ページを繰りながら、当初の気持ち、小さな信仰の種から芽生えたものを思い出してみる。あるいは、困ったときもノートの出番だ。これまでどんな聖書のことばが私を支え、どうやってエジプトから脱出したのだっけ。
拙著『こころのごはん』『こころのよるごはん』は、私のノートであり、みんなのノートでもある。そんな気持ちで膨大な数の聖書のことばから取捨選択を繰り返し、何度も並び替えて順番を決めた。これらのことばが、時代や国籍を超え、どれだけ多くの個人を励ましてきただろう。作業の間、この想像は膨らみ、ことばのもつ力にあらためて憧れた。
最近、信仰の歩みを振り返りながら、自分だけの「こころのごはんノート」を作るワークショップを始めた。過去と対峙する時間は感謝を生み、支えとしてきたことばなど、自分に贈りたいことばを選んでいく時間は、迷うけれど楽しい。折に触れてそのノートを開いていけば、ことばは心に刻まれ、生き様に織り込まれていく。根っこにまで栄養が行き渡るまでには、ずいぶん時間が必要だ。それでも、食べ続けていれば花は咲く。だから今日も、「いただきます」と聖書を食する。