私はこう読んだ―『聖書 新改訳2017』を手にして 第13回評者

吉田 隆
神戸改革派神学校校長。日本キリスト改革派 甲子園教会牧師。

何より聖書普及のために

完成出版されて早くも一年余を経過した『聖書 新改訳2017』(以下『2017』)について〝自由に〟書いてくださいとのご依頼を受けましたので、その務めを果たしたいと思います。
改訂版であるということ
このたびの『2017』は新訳ではなく、一九七〇年に出版された『新改訳』の全面改訂版であることを初めから明確にしています。私は、これは真に賢明な判断であったと高く評価しています。
おそらく、今日の日本の福音主義陣営の聖書学者の方々の総力を結集すれば、まったく新しい翻訳聖書を作ることも可能であったことでしょう(正直、そのような翻訳も見てみたかった!)。しかし、改訂を重ねるというやり方には、それにまさるいくつものメリットがあります。
一つには、『新改訳』の日本語が生み出す霊性を損なうことなく、いっそう正確かつ豊かにすることができること。二つには、旧訳のよい点をそのまま活かすことができる(ゼロから訳し直す必要がない)こと。そして三つには、財政的にも、旧訳の印税収入をそのまま改訂版作成に用いることができるという実際上の理由です。以上の諸点において、『2017』は大成功を収めていると断言できます。
訳文について
さて、訳文についてですが、『2017』は以下の六つの理念に基づいていると言われます。①聖書信仰、②委員会訳、③原典に忠実、④文学類型、⑤時代に適応、⑥今後も改訂。今日における聖書翻訳事業を考えたとき、これらの理念のうち『2017』に固有な点は、はっきり申し上げて、①と⑥くらいです。あとは(個人訳や特殊な翻訳を除いて)どの翻訳聖書も等しく主張していることです。問題は、実際に、『2017』自身がこれらの理念に忠実かどうか。そして、他の翻訳と比べてどうかということです。
私が関わっている「神戸バイブル・ハウス」で、昨年大変興味深い聖書セミナーが行われました。関西学院大学の水野隆一先生(旧約学)が自作の〝六欄聖書〟をもとに、旧約聖書の五書・預言書・詩篇のいくつかのテキストを、新共同訳・口語訳・新改訳・2017・フランシスコ会訳・岩波訳で読み比べるという作業をなさったのです。
単純な事実を申し上げますと、最先端の翻訳と言われる岩波訳が(他のどの訳でもなく)『新改訳』『2017』とだけ同じ訳になっている箇所、逆に、『2017』が新たに採用した訳が(他のどの訳でもなく)岩波訳とだけ共通する箇所が、少なからずありました。さらに、口語訳や新共同訳やフランシスコ会訳とだけ共通している箇所も散見されました。つまり、『2017』は、他のいずれの日本語訳聖書と比べても遜色ない翻訳だということです。
他方で、時代に適応した日本語と言いつつ、むしろ古い訳語に戻してしまった箇所(例、詩篇23・2「みぎわ」)。神には敬語と言いつつ、六つの翻訳中『新改訳』『2017』だけが敬語を使っていない箇所(例、イザヤ8・18「住む」)があることもわかりました。これら個々の訳文・訳語の課題は、今後の検討に委ねたいと思います。
ついでですが、今後も改訂を続けるという理念からすれば、九割以上も修正をした個々の箇所についての修正理由を、内輪で蓄積するだけでなく、ぜひ私たちにも明らかにしていただきたい。それが、聖書翻訳に対する理解と関心を呼びさます最良の策と思われるからです。
書物としての利便性
今日、書物としての聖書を手にする人はますます減少しています。そのような中であえて購入する人々にとっては、訳文もさることながら、書物としての利便性が問われます。
なぜ小型版には、地図がないのでしょうか。カラーでなくてもいいから、最低でも地図は付けてほしかった。また、聖書全般や各書について、さらには特殊な用語等についての簡単な解説も付けてほしかった。〝聖書信仰〟の理念は、ここでこそ本領を発揮するのではありませんか!
昨年末に、日本聖書協会の新しい『共同訳』が出版されました。まだ入手していませんが、その案内を見てビックリしました。訳文はともかく、すべての版に引照と「別訳」の注、そしてカラー地図や豊富なイラスト資料が付けられるとのことです。前者は、『新改訳』のお株であったはず。一本取られた、と思いました。
よいことは、何でも積極的に取り入れる。これは、聖書の普及のための基本姿勢だと思います。『2017』の訳文は立派なものなのですから、ぜひとも書物としても改良を続けていただきたいと願います。