リレー連載牧師たちの信仰ノート第八回 「危機なくして成長なし」②

太田和功一(おおたわ・こういち)
KGK主事・総主事、IFES副総主事・東アジア地区主事を経て、現在クリスチャンライフ成長研究会総主事。

大学を卒業してすぐキリスト者学生会(KGK)主事として働き始めました。大学紛争の激しいときで、お茶の水の事務所の周辺は機動隊の催涙弾の煙がただよい、歩道の敷石は剥がされて学生の投石に使われていました。バリケードの間をくぐり抜けて学内グループの祈り会に参加することもしばしばでした。張り合いのある働きでしたが、約二年半後、シンガポールにできて間もない神学校で学ぶためにKGKを辞しました。アジアの国々から来た二十名ぐらいの学生との三年間の寮生活は、刺激の多い、世界観、歴史観が大きく変わる経験でした。学びを終えるころKGKからの招きがあり、再就職することになりました。

神学校を卒業して直ちに帰国し、KGKに復職しました。その頃には大学紛争の波は下火になっていましたが、福音とは、福音主義とは、教会とは、信仰者の社会的責任とは、などを根源的に問うラジカリズムはクリスチャン学生の間に残っていました。また、そのような問いには関わりたくない学生や、問いかける姿勢そのものに反対する声もありました。また、KGKの地区間にも考え方や心理的な溝があり、それは主事の間にも影響を与えていました。復職して二年、三年するうちに、私はこれらのさまざまな考え方や立場の違いの狭間で身動きが取れなくなっていきました。そのような中で、責任感という重荷の下で、次第に行き詰まり心身が疲れ果ててしまいました。燃え尽きた預言者エリヤのように挫折感と孤独感でうつうつとした気持ちで日々を過ごしていました。私の苦しさを理解してくれる人はいないと感じていましたが、今思うと、相談できる人がいたのに、私のほうが心を開かず一人で重荷を抱え込んでいたのです。

ちょうどその頃、二週間にわたる学生訓練キャンプが海外からの講師を招いて開かれ、私は主事として、また、通訳として参加しました。そのキャンプの中頃、私は体調を崩してしまい、キャンプ場から隣町の病院に通うはめになりました。ストレス性の胃潰瘍でした。なんとかキャンプの終わりまでとどまることはできましたが、気持ちはお先真っ暗のままでした。
最終日の夜、最後の祈りのとき不思議なことが起こったのです。ある人と祈っていると、突然祈りのことばが出なくなりました。出なくなったというより、大きく、広く、透明な海のような神の臨在感に圧倒され、ことばが要らなくなったといったほうがあたっているかもしれません。

今でもことばで十分には説明できない経験でしたが、その結果は明白なものでした。それまでは、この働きには自分は不適格だ、自分のためにも、みんなのためにも辞めたほうがいいと思っていましたが、不思議にもこの働きを続けたいという願いが湧いてきました。学生たちがキャンプのなかで神の恵みを体験し、変えられてゆく姿を目の当たりにしていましたが、このようなすばらしい神の働きから離れたくないという思いでした。
その後、いつの間にかからだもこころも元気になり、それから七年後に別の働きに変わるまで続けることができました。行き詰まりと心身の弱さのなかで与えられたあの神の臨在の経験がなかったら、おそらく続けることはできなかったのではと思います。

神の臨在の恵みは、“もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう”(エレミヤ29・13)の約束を信じて、その恵みを切に慕い求めるなかで与えられる場合もあるでしょう。しかし、思いがけないときに、思いがけないところで与えられることもあることを上の経験から知りました。私の場合は、後者の恵みをその後も何回か与えられましたが、そのいずれも行き詰まりや危機のなかで与えられたものです。
もう一つ体験的に学んだことは、詩篇42篇の記者が告白しているように、どのようなときにも、神の臨在の恵みこそが希望と力の源であり、回復のはじまりであるということです。
「なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
『御顔こそ、わたしの救い』と」(新共同訳)