時代を見る眼294 心の平安 [3]「もう一人の自分」が示す愛

精神科医 堀江通旦

私たちの心をかき乱す原因は日常生活のあらゆるところに潜んでいます。それらにすぐに対処できるように、私たちの心と体には生まれつきアラームシステムが備わっています。大抵の場合は原因がコントロールできればアラームも鳴り止むのですが、事情によってはもともと生理的であった反応がやがて病的な条件反射になり、ついにはコントロールしがたくなることもあります。
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例えば、PTSD(心的外傷後ストレス障害)と呼ばれる心の病は、過去の心の傷が癒えていないため、それを連想させる現実の出来事に出会うとそれにそぐわない強いアラーム反応を起こし、過激な感情と行動を表面化させてしまいます。
時が経つとともにこのような過剰反応も徐々に弱くなり、やがては目立たなくなることもあるのですが、原因となった子ども時代の心的外傷が個人の尊厳を著しく傷つける性質のものであった場合には、その体験が記憶の奥底に埋められて意識に呼び戻せなくなるため、整理されないまま残った過激な感情と反動的な行動が、人格の一部になってしまうことさえあります。
そこまでいかなくても、それぞれの自分史の中ででき上がっていった人格は独自なものであるため、学校、職場および隣人との人間関係においてはもちろんですが、相思相愛の夫婦の中でも親子の間でも摩擦が起こることは避けられません。そのようなとき、何が私たちの行動を決めているのでしょうか。
普通、子どもはポジティブであってもネガティブであっても感情をすぐに行動に表します。しかし、大人になると感情と行動の間に距離が出てくるものです(Ⅰコリント13・11)。誰でも成長の過程で、目の前の状況に反射的に反応したい衝動を感じている自分と、そういう自分を距離を置いて見ている「もう一人の自分」が心の中にいることに気がつくでしょう。
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子どもらしい衝動があることを認めながらも、「もう一人の自分」が示す、愛に基づいた大人らしい行動を選ぶところに成熟の秘訣があります。それは長い長い試行錯誤のプロセスですが、心の平安はその実ともいえましょう。