リレー連載 牧師たちの信仰ノート
中台孝雄(なかだい・たかお)
日本長老教会・希望キリスト教会牧師。
hi-b.a.(高校生聖書伝道協会)代表役員。
第十回 「主の導きの軌跡」①
小学校五年生のときの十一月九日(水)の日記。
「夕方テレビを見ていたら『りんじニュースを知らせます』と言って、アメリカの大とうりょうがどっちになったか教えてくれた。ぼくはケネディだろうと思ったらやっぱり当たっていたのでうれしくなった。ぼくがケネディをおぼえたのは、兄のとっている本を見たら、ケネディの生まれたことから今までのことがのっていたので、それを読んで、ケネディがなんとなく大とうりょうになればよいと思っていた。石田先生〔当時の担任〕が言ったこともあたった。」
(その当時、毎日日記を書いて提出するよう担任に言われ、忠実に実行していたので、小三から小五までのほぼ毎日の行動記録が、日記として今でも手元に残っています。)
ここに書かれていることが、私の信仰生活の出発点です。クリスチャン・ホーム育ちではなかった私が、キリスト教会に通い始めたのは、この日記から一年後のことでした。
なぜ教会に通い始めたのか。
家から小学校の通学路にキリスト教会があったので、実は教会の存在はずっと知っていました。
説教などでは聴衆の皆さんに笑っていただけるような理由に絞って語ってきました。「『教会ではクリスマスにはケーキをくれる』と聞いたので、ケーキ欲しさに、でもそれがバレないように、少し前の十一月頃から教会に通い始めた」、「ボーイスカウトに入っていた小六の夏のキャンプのときに川で溺れ、いきなり自分の死に直面し(少し大袈裟ですが)、人の生死について考えて教会に通い始めた」。どちらも事実ですが、本当の理由はもう少し別にあります。
私は、第二次世界大戦後のベビー・ブーマー世代(団塊の世代)の最後の世代で、アメリカの影響が色濃くありました。「占領軍による日本人への洗脳が成功した世代」と言われてしまうこともありますが、確かにアメリカ文化への憧れがあり、日本の文化や政治には天皇制を中心として馴染めないもの(いっそ嫌悪感といってもいい)がありました。若いケネディが大統領としてさっそうと登場し、彼が「アメリカ初の〇〇のキリスト教の大統領」と紹介されたとき、同じ信仰を自分ももってみたいと思い、キリスト教を自分の一生の宗教にしようと決断しました。クリスチャンとして生きるなら、日曜日に教会に通わなくっちゃ。それが、私が教会に通う決意をした本当の理由です。
ですから、教会に通い始めることにした日曜の朝、私は母に「今日は自分にとって大切な記念日になる」と宣言して教会に向かったのでした。
ただ、ケネディがアメリカ初の〇〇のキリスト教の大統領だと聞いて、キリスト教に旧教と新教があるのは知っていましたので、「初」だから当然新しいほうだろうと思い込んでプロテスタントの教会に行ったのでした。彼が「アメリカ初のカトリックのキリスト教の大統領」と知って自分の勘違いに気づいたのは、かなり後になってからでした。最初から正しい知識をもっていたら、近くのカトリック教会に通い始めていたことでしょう。
そのようにして、クリスチャンとして生きると決めて、そのために必要な行動として教会に通い始めたので、日曜学校で教えられることをそのまま素直に信じ、次の日曜日には手持ちの小遣い三百五十円を使って聖書も購入して、朝と晩に聖書を読むようになりました。
たまたまではなく、クリスチャンとして生きる(クリスチャンがどういうものかはわかっていませんでしたが)と自分で決めたので教会に通い始めた、というのは、あまりにもエラそうなので、ふだんは「ケーキ話」で笑いをとるのですが、これが本当のところです。
自慢話ではもちろんなく、神の憐れみがあったとしか言いようがありません。日本のひとりの少年を主なる神が憐れんで(プロテスタントの教会に導かれたことも含めて)、ご自分のもとに招いてくださったのでした。教会に通うことが楽しみで、休むことなく毎週通いました。けれども、当時の日曜学校の先生に後日言わせると「何が楽しくて来ているのかわからず、もう来ないだろうと思っていると、次の週もやって来た」ということでした。
何を考えているのか、何が楽しいのか、わからないように見える少年少女でも、神はその子の心のうちに働きかけて新生への動きを起こしてくださっている、今ここではなくとも、いつかどこかで実を結ぶ(かもしれない)。長い伝道生活で、実り少なくつらいときは特に、私がいつも自分自身のことを思い返し、心に刻みつけていることです。