この日本で、歴史の中で、歴史を超えて生きるために


飯能キリスト聖園教会 牧師 若井和生
『十字架と桜キリスト教と日本の接点に生きる』
丸山忠孝 著
四六判 2,300円+税
いのちのことば社

「平成」から「令和」へ。元号の変わり目にこの本を読み、非常に深い味わいがありました。この本は長年、歴史神学と取り組んでこられた丸山忠孝先生の十の論考を集約した、今までの集大成とも呼べる作品です。
タイトルは『十字架と桜』であり、『桜と十字架』ではありません。「十字架」で表されるキリスト教を、「桜」で表される日本的なものの先に置くところに、著者の一貫したこだわりが感じられます。
私たちはキリスト者であることと、日本人であることを自らの内でどのように整理し、受け入れているでしょうか。この私も神学校で日本キリスト教史の授業を担当することとなり、そのテーマは日本の教会にとって解決されないまま、曖昧にされている課題であることに気づかされています。キリスト者であることよりも、日本人であることのほうがより強く自覚されてしまう傾向が私たちにあること、それゆえに福音によって変えられることよりも、福音を自分に合うように変えてしまうほうに私たちの関心が向きやすいことが、この本においてさまざまな例を通して指摘されています。
その上で、福音を日本人として受容する「日本人キリスト者」ではなく、絶対者なる神から選ばれて日本に派遣される「キリスト者日本人」としての自覚に生きることの大切さが教えられています。そこから生まれてくるのは、日本にキリスト者として居場所を求めるような消極的な生き方ではなく、この国で御国を建設する力強い生き方であるに違いありません。
戦後築き上げられた民主主義の形が空洞化し、さまざまな価値観が混在し、自信と展望を見失いつつある私たちの国で、伝統的で「日本的なもの」の復権が声高に叫ばれているようです。そのような時代の流れに吞み込まれないために、その中にあってキリスト者に与えられている自覚をもって力強く歩むために、この本が取り組んでいる主題を大切にしていかなければなりません。