298 時代を見る眼 教会の役割り [1] がん患者との交流から

キングス・ガーデン埼玉理事 児島康夫

私の所属する教会は、埼玉県内の人口35万人ほどの市内にあり、創立50年近くになる。
10年ほど前までは礼拝出席人数が40名前後で、良くいえば安定、悪くいえば停滞していた。
伝道に無関心だったわけではない。年に2度は伝道集会やコンサートを企画し、数千枚のチラシを個別配布したり、ダイレクトメールで案内したりしたが結果は芳しくない。それでも特段大きな問題もなく、居心地が良い教会だ。
ただし、気になる点はあった。人が変わらないということは、年々平均年齢が高くなり、高齢化が進むということ。また、子どもや青年が減少し、この傾向が進むと将来的展望が明るくないということ。実は、今このようなありさまの教会は日本中、少なくない。
駅から近いが、駐車場が狭いこの教会に将来性は乏しいと判断し、8年前、市の郊外に広い土地を得て移転した。しかし、旧会堂の近隣の信徒や電車利用の信徒には不便を来たし、移転当初は40名を割ることもしばしばあった。しかも、県道沿いで目立つ新会堂なのに近隣の人たちは来会しない。
初心者のための特別集会やコンサートを開いても、効果はゼロ。警戒感が強かったのかもしれない。
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ある年、老年期直前の信徒が3人、がんに罹患し、うち2人は1年ほどの闘病を経て召された。
他の1人は、手術と治療を経て日常生活ができるようになった。しかし、再発の不安や周りの人の理解が得られない孤独や生きづらさを経験し、お茶の水のがん哲学外来の「メディカル・カフェ」に参加して光明を見いだし、自分たちの教会を会場に、がんカフェを立ち上げようと提案した。
役員会はどう対応したらよいかわからない不安もあり、もう少し勉強してからと尻込みしていたが、「私たちがん患者には時間がないのです。来月からでも始めてください」との悲痛な訴えを無視できず、腰が引けた状態で開始した。
蓋を開けると不安は杞憂であった。宣伝はホームページや口コミだけなのに、参加者は常に20名ほど集まり、内心を吐露し合い、共感し合い、生きる力を得て散会する。それから丸4年が経った。教会も不思議と元気になった。毎月新来会者が絶えない。
なぜか? その答えの有力なひとつは、「教会が社会に必要とされる場」になったからだろうと思う。