299 時代を見る眼 教会の役割り [2]高齢者の証しを聴く

キングス・ガーデン埼玉理事 児島康夫

昨今、わが国が少子高齢化の時代に入ったことを実感する。教会は一般社会より早めに、そのことを実感していたかもしれない。
教会から子どもたちや青年たちが減り、高齢者の割合が増える傾向は、すでに20年以上前から話題になっていたが、有効な対策を立てられずにきた。私の所属する教会でも、信仰の継承を危ぶむ声がしばしばあがった。
この問題を解決する近道や特効薬はないだろうが、小さな試みを紹介してみたい。私どもの教会では、年に4回証し文集を発行している。そこに、意識的に高齢者の証しを載せるようにしている。
とはいえ、なかなか自発的に原稿を出してくださる方は少なく、いろいろな手段を使って書いていただく。編集者が家庭訪問し、聞き書きをするという手も使う。認知機能がやや低下した方からは、ぽつりぽつりと話してくださる思い出の断片をつなぎ合わせることもしている。時には二度も三度も訪問し、ご家族の応援も得て文章にまとめることもある。そうする目的や効果、そして結果について、列挙してみる。
①高齢者自身があらためて神様の恵みを振り返る機会となる。
②高齢者が恵まれ喜んでいる姿は、若者たちに年をとることの良いイメージを与える。
③教会員が教会の歴史の一端を知り、地域社会に果たした古老の役割を認識する。
④家族や近親者も知らなかった高齢者の心の内にある思いを知る機会となる。
⑤長い人生の中で、高齢の方々が大切にしてきたものの価値を再確認し、継承する。
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近年、高齢者に関わる問題がマスコミ等で喧伝され、高齢になることのマイナスイメージが強くなっているが、聖書の中では逆に老人は神の祝福の象徴である。
事実、今も教会に集う高齢者は輝いている人が多い。このことを教会はもっと証しして良いのではないか。高齢者の謙虚で神の恵みを感謝する姿は、教会員共通の手本になるばかりでなく、高齢社会に明るい影響を与えうる。
高齢者を敬い、親しみ、尊ぶことは、集い全体の祝福につながると聖書は告げている。そして、老若男女が互いに尊敬し合う集いが、いかに楽しく喜びに満ちたものかを証しする教会は、時代は変わっても、世の光として豊かに用いられることだろう。