301 時代を見る眼 生きづらさを抱えた若者を どう受けとめるのか [1] 役割・相談・大切
K2インターナショナルグループ チャプレン 坂本 牧裕
社会とのつながりを閉ざしている“ひきこもり”が、今年5月の川崎市での殺傷事件後から、反社会的存在としてますます危険視されるようになった。また父親が“ひきこもり”の息子を殺害する事件もあり、“ひきこもり”は社会全体で取り組み、考えるべき課題として認知され始めた。
昨今の内閣府の調査では、40歳未満の“ひきこもり”は54万人いると発表されている。
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私自身は中学1年生の5月から不登校になり、ひきこもり生活をするようになった。14歳のとき、生きづらさを抱えた不登校やひきこもりの若者たちの自立支援団体である「K2」との出会いが与えられた。
そして現在では、この働きに携わるようになり、さまざまな生きづらさを抱えた若者たちと接する機会が日々与えられている。
若者がひきこもりになる背景には、不登校やいじめ、発達課題を始め、学校や職場での人間関係、病気や環境の変化など千差万別である。しかし一貫していえることは、「役割」「相談」「大切」が欠如してしまった状態ではないだろうか。
社会や家庭において「役割」がない状態がひきこもりである。「私なんて、いてもいなくてもいい」と思い込んでしまい、社会から孤立してしまう。昼夜逆転の生活となり、家族とも顔を合わせず、中には食事や排便を自室でする者もいる。壁は穴だらけ、親はアザだらけになってしまう。
こうした状況の中で、当事者や家族はなかなか「相談」ができず、問題を抱え込み、先送りしてしまう。
多くの自治体には、ひきこもりの相談窓口が設置されているが、地域の教会こそがこうした悩みを抱いている家族にとっての、身近な相談場所となれるのではないだろうか。困ったことや悩みを素直に打ち明け、「一人にさせない。抱え込まない」で相談ができる場所こそ教会だといえる。
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私たちは生きづらさを抱えた若者たちが、神の目には高価で尊い「大切」な存在であることを忘れてはならない。
多くの当事者は、大切にされている実感が乏しく、被害者意識が根深くある。社会の一員である教会、そしてキリスト者一人ひとりが、生きづらさを抱えた若者たちと寄り添い、家族以外の支援者へと責任をもってつなぐことが、その人とその家族を大切にするということだ。