野の草を見つめながら 最終回 高価で尊い存在として

フォトグラファー 市川五月

写真集『都会に咲く小さな草花さえも』を出版させていただいたあと、この「いのちのことば」の連載が始まってから、あっという間の1年でした。
野の草という、いわば雑草をテーマに書いてきましたが、知れば知るほど雑草と呼ばれる草花たちは、神様にとって意味のある特別なものとして造られていることがわかりました。
小さくどこにでも生え、邪魔だと思われる雑草が、じつはとても役立つ存在であるとわかったことは、私にとって、とても嬉しく、また励ましにもなりました。
私は写真集で、この雑草そのものが私たち人間一人一人のようであることを伝えました。
見すごされ、踏みつけられてしまうような小さな草花でさえ、神様は目に留めておられる。意味をもって造られている。
聖書には、人間は鳥や野の草以上に優れていて、愛されている存在だと書かれています。
*      *      *
私は学生時代、自分を愛せない時期がありました。自尊心が低く、周りの友人を愛せても、自分を愛することができませんでした。
でも、神様が最高傑作として造ってくださった作品を否定し、低く見るのは神様の思いを否定する自分の中の罪だと気づきました。
それから神様がどんなに私を愛してくださっているかを知る努力をしました。聖書を読み、神様の壮大な計画の中に自分が置かれていることを知ったとき、自分がどんなに愚かなことをしていたのか気づかされました。今ではあのとき、神様を求め続けてよかったと思っています。
もし今、自分自身を愛せず、否定的な思いをもっている方がいたら、神様は何と言っておられるのか聖書を読み、求め続けてほしいと思います。野の草でさえ、意味があってそこに置かれている。それよりも優れた価値ある存在であるあなたを、神様は優しい眼差しで見ておられることを知ってもらえたら幸いです。
*      *      *
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」
(イザヤ43:4)