泣き笑いエッセイ コッチュだね!

泣き笑いエッセイ コッチュだね!
#更年期 #うつ #親の介護 #教会のピンチ #牧師の孤独 #みことばの黙想 #おひとりさま #トンネルを抜ける #オトナの坂道
朴栄子 著

第1回 丸裸になりまっせ!
きっかけは、五人の女子会でした。関東に住む二人の友人が、たまたま同じ週末、関西に来るというのです。わたしを含めて三人は関西に住んでいますが、ここ数年間は会う機会がないままでした。
わたしたちはかつて、いのちのことば社でともに働いた友人です。土曜日の夜の外出は、牧師であるわたしにとってはチャレンジですが、一人が海外にしばらく行くこともあって、思いきって参加しました。
いやあ、盛り上がった! ほぼ同年代なので、共通のネタでわあわあと話が弾みます。特に盛り上がったのは、更年期のお悩みです。あんまり大っぴらに話すことでもないので、ここぞとばかりに。気の置けない女子会ですからね、そして三人は関西人ですから、突っ込みまくり!抱腹絶倒しながら、同時にみんな悩んでいたんだなと慰められて帰途につきました。
二〇一七年の七月から毎朝、聖書のことばを黙想したものをメルマガとして配信しています。あんまりうれしくて数日後に、この日のことを書き、彼女たちに送りました。
そうすると、いまも編集者をしている友人(この連載担当Aさん)が大変喜んで、メルマガを読んでくれるようになり、連載の話へと発展したのです。
最初にこの話をいただいたとき、正直いうと、締め切りが守れるのかという一抹の不安がありました。初回からみなさんを心配させて、スミマセン(汗)。でもすぐに、書きたい!という気持ちが打ち勝ちましたので、引き受けることにしました。
わたしは長崎市で牧師の家庭に生まれ、佐世保で育ちました。父は在日コリアン二世、母は元日本人で韓国に帰化しています。苗字は「田中」ですが、韓国のパスポートを持っています。自慢のオモニ(母)のことは、追々紹介しますね。父母は神学校の同窓生で、卒業と同時に結婚し、長崎で開拓伝道をしました。その後、父の韓国留学にともない家族全員でソウルに移住し、一年ほど過ごしました。オモニは大変苦労しましたが、おかげで曲がりなりにも韓国語を話すことができます。

大学卒業後、月刊誌『百万人の福音』で四年半、編集者として働きました。退職後、しばらくして最初の神学校に入り、その後さらに二つの神学校で学ぶことになりました。「勉強が趣味なの?」と友人には冷やかされましたが、なぜかそういう運びになりました。
二〇〇六年春、大学院を修了し、いよいよこれからというときに父が急逝し、いきなり独り立ちすることに。葬儀をして牧師按手式をして就任式をするという、ドタバタ劇で牧師としての新生活がスタートし、あっという間に気がつくと十三年。
ところでわたしは、今年の初めごろまで三、四年ほどの期間、自律神経失調症とうつを経験しました。それまでは「いつも元気で前向き」がとりえだったのが、別人のように落ち込みました。ともかく無気力で、やる気が起きません。仕事をきちんとするどころか、何かを完成させる、約束を守るというのが難しくなりました。早めにやったほうがいいのは重々わかっていても、すべてのことがギリギリ最低限で回っていました。
しかし、二〇一九年の新芽が出るころ、わたしにも春がやってきました。少しずつ元気が出て、新しいことや外出、オシャレもしたくなってきました。そんな折にあったのが、この連載の話でした。
いま、毎朝のメルマガで何度も繰り返して、うつだったときのことを書いています。こんなわたしに神さまが目を留めて、癒やして解放してくださったことがうれしく、ありがたいので、誰かの励ましになるならと赤裸々に書くのです。
どん底に落ち込んだとき、自分は牧師どころかクリスチャンとしてもどうなのか、何の役にも立たない人間、偽善者じゃないかと思いました。その暗いトンネルを抜けたいまは、ただただ、感謝でいっぱいです。喜びと自信にあふれて、心の底から幸せです! ですからもしも、誰か一人でも励まされるのなら、喜んで丸裸になりまっせ!という気持ちです。
更年期とうつのこと、介護のこと、オモニとの二人暮らしのこと、癒やされたときのこと、心の断捨離、在日コリアンとしてなど、わたしが経験したことのなかから、受け取った神さまの恵みを綴っていきたいと思っています。
日々神さまの奇跡を経験しています。ですから、どんな連載になるのか、とってもワクワクしているんです。
どうぞ楽しみにしていてください!

「この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。」(エペソ2・8~9)