泣き笑いエッセイ コッチュだね! 第2回 謙遜という名のゴーマン

#更年期 #うつ #親の介護 #教会のピンチ #牧師の孤独 #みことばの黙想 #おひとりさま #トンネルを抜ける #オトナの坂道

朴栄子 著

第2回 謙遜という名のゴーマン

それはある日突然、やって来たというわけではないのですが、少しずつ体調が悪くなり、メンタルが弱っていると感じる症状が出てきたのは、五十の声を聞いたころのことでした。更年期、オモニ(母)の認知症、人間関係の軋轢、そして教会の低迷と、痛いパンチはカルテットでやってきたのです。
夜眠れなくなり、だんだんと認知症の症状が進んでいくオモニに対して、イライラが抑えられなくなりました。ホットフラッシュでしょうか、頭の芯がカーッとして、ああ、今晩は眠れないと予測できるのです。無意識にため息を、日に何十回もついていました。
そんな状態ですから、一通のメール、一本の電話をかけるのさえ大変になり、教会関連のもう一つの仕事を辞めざるを得なくなりました。責任を放棄してしまった罪責感も、うつ状態を加速させました。

説教で用いられるように。それが、わたしが牧師になったとき、願ったことでした。
わたしたちの教団には女性牧師がとても少なく、その中で日本語を母語とするのはほんの数名です。ですから数年たつと、あちこちから説教や講演の依頼が来るようになりました。最も多い年には、年に四十回ほど外部で説教や講演をしました。忙しく動き回り、まあまあ目立っていたと思います。主のためによくやっていると勘違いし、ある程度の自信をもっていました。
ところがはたと気づくと、肝心の自分の教会の礼拝出席者数は最低になり、存続さえ危ぶまれる事態に陥っていました。わたしを含めて四人での礼拝が半年以上、オモニと二人のことも数回ありました。
いままで築いてきたものが、教会の建物もろともガラガラと音を立てて崩れていくような、そんなイメージが頭を離れなくなりました。
何よりも、自分自身に嫌気がさしました。これまで十年以上、牧師としていったい何をしてきたのだろうか。何もないじゃないか。自分を責める気持ちが強くなりました。主のためにと言いながら、本当は人に認められたくて、自己満足のためにやってきたことにも気づきました。そうすると今度は、自分が嫌いでキライでたまらなくなりました。
たいへん恵まれたことに、それまでに内面のいやしを経験する機会が、何度かありました。低かったセルフイメージが健全になり、自信を持ちました。人が大好きで、人間関係を優先し、顔が広いねと言われたこともあります。
ところがうつになると、人がとても怖くなりました。誰にも会いたくないのです。いちばん会いたくないのは、牧師たち、特に同じ教団、同じ教派の先生たち。誰も何も言わないのに、失格者の烙印を押される気がしたのです。完全に自信喪失してしまったのです。

ボロボロになって、ただ、主の前に泣くしかありませんでした。うつですから、長時間の祈りも、聖書を集中して読むこともできませんでしたが、主からのいやしと回復をひたすら願いました。みことばに頼るしかないと思い、聖書の黙想を欠かさないようにし、毎日毎日、感謝することを探して、五つずつ書き出すようになりました。
そのなかで気づいたことは、自分の傲慢さです。何がって、自分はまあまあ謙遜な人間だと思っていたことです(ああ恥ずかしい!)。人に親切で好かれていると思っていたことです(超恥ずかしい!)。
すでに天国に行った教会役員さんから、「お嬢さん」と言われたことがあります。そんな年でも家柄でもありませんが、勉強ばかりして、苦労をしていないように見えたのでしょう。両親に愛され祈られて育ったので、ある意味そうだったかもしれません。
まあまあ優等生だったので、人の気持ちがわかりませんでした。努力しない人が大嫌いで、努力さえすればある程度のことはできるのに、しないからできないんでしょ、と本気で思っていました。上から目線で人を見ていたのです。
努力したくてもできない人がおり、気力さえ湧かないこともある。自分がそうなってみて、初めてわかったことでした。
いまはほんの少し、人の痛みも苦しみもわかるようになりました。ちょっぴり、自分が経験した範囲で、です。謙遜そうなふりをしたとんでもない傲慢な者である、すぐに思い上がってしまう愚か者である、ということも知りました。
苦しかったけれど、決してムダではない時間でした。

「高ぶりは破滅に先立ち、高ぶった霊は挫折に先立つ。」
(箴言16・18)