泣き笑いエッセイ コッチュだね!第3回 やる気スイッチ

#更年期 #うつ #親の介護 #教会のピンチ #牧師の孤独 #みことばの黙想 #おひとりさま #トンネルを抜ける #オトナの坂道

朴栄子 著

 

『ドラえもん』みたいですが、やる気スイッチというものがもし、十万円ぐらいで手に入るものならほしいと思っていました。本気です。

オモニは週に三回デイサービスに行くので、その間は夕方まで自由です。仕事でも気晴らしでも、何でもできるのです。ところがオモニを送り出し、玄関のドアが閉まったとたん、まるで風船がしぼむようにしゅーんと気力が萎え、何もしたくなくなるのです。

仕事も家事もタスクは山積み。掃除、洗濯、台所仕事など、最低限のことはしていましたが、自分のことができません。妹が心配して、「美味しいものを食べたら?」「友だちと出かけたら?」などと言ってくれるのですが、何もしたくない。

レディースクリニックに行くと、「更年期というよりうつだね。軽い抗うつ剤、処方しようか」と言われましたが、どうしても抵抗があって、入眠剤だけもらいました。幸い不眠のほうは、八か月悩まされたあと、ピタッとおさまりました。基本はひとりで介護を担っているので、眠れないと身体がもちません。

朝までぐっすり、七時間は眠れるようになりました。なのに、座るやいなや、ものすごい倦怠感がきて、昼食もとらずに夕方まで寝ていることがほとんどでした。

何もしなくても時間だけは過ぎます。金曜日がプラごみの収集日ですが、ごみをまとめながら、ああ、また一週間が過ぎるのかと、愕然としました。日曜日が迫ってくる金曜日が、大嫌いになりました。必要最低限のことだけ何とかこなす日々の中、毎週の礼拝も説教も喜びではなく、重荷でした。

これはかなり恥ずかしいのですが、丸裸になるお約束ですから、正直に書きましょう。自分でも困ったのは、お風呂に入れなかったことです。夜九時ごろにはオモニが床に就くので、再び自由時間です。さっさと入って休めばいいものを、ああ疲れたツカレタやってられんわ!と座り込んで、スマホ片手にダラダラ。

身体が動かないのです。元々は風呂好きで長湯なんです。人前に出る仕事ですから、全く入らないわけにはいかず、仕方なくたまに入っていました。

牧師として出席しなければならない会議は、一年間は完全欠席。「友だち」が五百人を超えていたSNSは退会し、人と会うことはほぼなく、他教会での説教奉仕も、体調が悪くなると不思議になくなりました。

そんな生活でしたが、不思議にこの間に、それまでに会うことのなかった人たちが訪ねてきました。韓国から「巡礼の旅」のチームが三十五人。以前、数年間駐在し、韓国に帰国した信徒夫婦が二十年ぶりに訪問。わたしの話を聞くために神戸から来てくれた牧師夫妻もいます。

また友人の紹介で、月曜日ごとに近隣の教会から集う女性の祈りのグループに加わるようになりました。安心して心を開ける場があることは、救いでした。ほとんど同じ普段着しか着ていなかったわたしが、日曜日をのぞいて、ちょっとだけオシャレして外出できる機会でした。

牧師としてうまくやっていると錯覚していましたが、幻想であったと悟りました。自力では何もできない状態になって、初めてもろ手を挙げて神さまに降参したのです。

みことばを欠かしてはいけないと思い、朝ごとに黙想し、週に数回、教会員や友人にSNSで送りました。神さまを見上げよう、感謝をささげよう、必ずトンネルを抜ける日が来ると自分に言い聞かせる日々。

暗いトンネルのちょうど真ん中あたり、二〇一七年の春、数年ぶりにある牧師と再会しました。神学校の先輩であり、アニキみたいな先生です。

どうしてたんやと聞かれて、落ち込んでいることを正直に話しました。そうすると、自分も似たような経験をしてきたけれど、これで生き返ったからやってみないかと誘われたのが、みことばメルマガの配信です。

無料であっても、毎日配信をうたうメルマガに登録してもらったなら、休むわけにはいきません。

ほかの誰でもない、自分のためにしたほうがいいのはわかっていましたが、ひと月悩みました。毎日しなくてもいいのでは、週に四日ぐらいならどうか、いろいろ考えましたが、何かを変えたくて決断しました。

こうしてその年の七月、三百六十五日のメルマガをスタートさせたのです。自信はありませんでしたが、始めてみたらなんと楽しいこと! 張り合いのあること! ただただ主のあわれみと恵みです。

おおっと、「やる気スイッチ」がオンになった日のことを書こうと思ったのに、紙幅が足りません。続きは次回。

「友はどんなときにも愛するもの。兄弟は苦難を分け合うために生まれる。」(箴言17・17)