特集 ティーンズに伝わる言葉とは? アオハルの日々にこそ!
アオハルの日々にこそ!
子どもから大人への成長期である「ティーンズ(中高生)」。彼らはいま、何を考え、どんなことを求めているのだろう? 教育、ユースミニストリーの現場から、ティーンズに「伝える」ために必要なことを考える。
金城学院高等学校・宗教主事 沖崎 学
何とかして、目の前にいる生徒たちに、神さまの愛を伝えたい! ユダヤ人には、ユダヤ人のようになって、青年には、青年のようになってと思うが、生徒が、「青春」を「アオハル」と読むように、僕の経験的な「青春」と、現代の生徒の「アオハル」とは、たくさんの相違がある。
ただ、「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ」(伝道者12章参照)というように、神さまに出会うなら、青春の日々がベスト。青春とは、YOUNG。それは、人生の始まり、何かが始まる前、元気いっぱいの時だ。そんな青春真っただ中にいる生徒は、まっすぐなまなざしで世界を見ている。
生徒は、自分に与えられている、あらゆる身の回りの問題や課題に向き合いながら、同時に、自分の将来を思い描いて、この時期に進路の最終決断をする。まさに、長く続く生徒の人生の幕は、これから上がる。その舞台の幕の裏にいて、どうしようもない不安の中にいるのが青春だ。
その後の人生には、感謝も喜びもある。が、これまで知らなかった試練と困難が待っている。そのすべての前に、創造主なる神さまに出会うことができたら。時に、荒れくるう波に呑み込まれそうになることも、人生の中できっと経験する。そうした、僕らの人生を、どう受けとめるか。
「人生なんか、単なる偶然の積み重ねでしかない。どんな努力も、結局は無駄に終わる。人生なんて、しょせんそんなもんだ」と諦めに生きるか。「いやいや、人生は、自分の願いどおりにばかり進むことはない。けど、上手くゆかないことにも意味があるよ」と受けとめ生きるか。
万物を造り、僕らにミッションを用意し、この世に命を与えてくださった神さまがいる。ならば、諦めになんか生きていられない。どんな人生であっても、だからこその今があり、だからこその将来があるんだ。そう、僕らに息を吹き込んでくださった神さまの愛に信頼してほしい。
そのような経験を、アオハル時代から積み重ねてゆけたら。その経験を土台として、これから始まる人生を進んでゆけたら。そんな願いをもちながら、四冊の本を著した。どの本も、聖書の物語を描いている。その物語が、いかに自分のアオハルとリンクしているかを知ってほしい。
そのため、その物語を描くために用いている言葉は、これまでに向き合ってきた生徒、今僕が昨日も、今日も向き合っている、アオハルを生きている生徒との対話の中で生まれてきたもの。だから、それぞれのテーマや、セクションに、僕と交わりのあった生徒の顔が浮かんでくる。
一冊目の『キミのこころに語りかける24のKey Word』は、高三卒業の約五十日前にもたれる学校行事(卒業修養会)に合わせて書いた。信仰的な決断をする、聖書の中の女性の生き方を通して、自分の今を捉え直してほしい。その上で、これからの自分の未来を大きく描いてもらいたい。
この本のタイトルの「キミ」とは、「アオハル」を生きる生徒のこと。「あなた」より近く、「君」ほど大人でもなく、「きみ」ほど幼くない。そのちょうど間にある、「キミ」にこそ届けたい聖書の物語がある。この通称「キミここ」は、サーモンピンクの表紙が、とてもカワイイ。
あとの三冊は、『SMILEFULL DAYS』シリーズ。「Ⅰ」は聖書のたとえ話、「Ⅱ」は旧約、「Ⅲ」は新約という内容(今春発売予定)。表紙の背景の赤、青、緑はイメージカラーで、通称「赤本」、「青本」、「緑本」と呼ぶ。その本のイラストに登場する生徒には、いっぱいのアオハルがあふれている。
この三冊もまた、聖書の物語。そして、どの物語も世界では超有名なものばかり。その物語を、自分の物語にしてほしい。いや、その物語に入ってほしい。本の中で、生徒のイラストが各所に入り込んでいるのは、同じように聖書の物語の中に、若い読者に入り込んでほしいからだ。
誰しもが、SMILEFULL DAYSを願っている! 今も、そして、これからも。誰も、涙でくれた日々を過ごしたいなんて、思っている人はいない。神さまは、そんなことなんか百も承知。それにもかかわらず、そんな日がかならず来る。まさに、今、そのただ中という子もいる。
けれども、そこに意味がある。だからこそ、意味がある。生徒が、それぞれに歩んでゆく、この世での人生を最後まで、神さまに心を留めて生きることができたら。「そうだ、幕が上がるその前、アオハルに出会った神さまがいる。あそこに行こう。」そこに、ちゃんと帰る場所がある。
そのために、神さまに心を留める訓練を青春の日々に、若い日にできたら。こんなに素晴らしいことはない。光の中で光は見えない。神さまの愛の温かさに、生徒は気づきにくい。ただし、気づきにくいだけで、実際に、神さまの愛という光が見えないわけでも、感じられないわけでもない。
だから僕は、四冊の本の中で具体的に語ったつもりだ。「ここにも、愛があるよ。あそこにだって、愛があるじゃない。これが愛なんだってば。だから、ほら、よく見てごらんよ。僕らの周りには、神さまの愛がいっぱいあるでしょ」と。その愛が、僕らの人生を豊かにしてくれる。
これから、幕が上がろうとしている多くの生徒に、また、同じようにアオハルを今生きているすべての人たちに願う。神さまの愛に出会ってほしい!