信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」第9回「ありのまま神学」③ ~十字架から見た「ありのまま」~
中村穣 (なかむら・じょう)
2009年、米国のウエスレー神学大学院卒業。帰国後、上野の森キリスト教会で宣教主事として奉仕。2014年、埼玉県飯能市に移住。飯能の山キリスト教会を立ち上げる。2016年に教会カフェを始める。現在、聖望学園で聖書を教えつつ、上野公園でホームレス伝道を続けている。
今回は「ありのまま神学」の最終回として、十字架から見た「ありのまま」についてお話しします。
イエス様にそのままの私をゆだね、ありのままの私を受け入れるとき、神様から始まる新しい自分を受け取ります。そこに私たちの自由があります。それは、“私”が“私の思い”を超える自由です。それは、できる・できないという自分の内にある比較から脱し、その私の内側に神様が生きてくださることです。
そして、神様が私を突き動かします。必要な働きがあるからあなたがいるのではなく、まず神様があなたの存在を認め、そのあなたを必要としておられるので与えられる人生です。主の愛が、あなたを必要な友人、またどうしてもイエス様の愛を聞く必要のある人のところへと必ず遣わします。
主が私たちを遣わすとき、どうして私がそれをするのかわからないということが多々あります。けれども主にあって事を行うことができ、その後に思いもよらないほどの大きな恵みとそのご計画を見るのです。
ありのままの私は神様から始まるので、「主に耳を傾ける」ことが大切になります。そのためには静かな「暗闇」が必要です。主体的な信仰では見いだせない、ただ神の臨在の中に自分を見いだし、客観的に自分を受け取るという信仰です。
レヴィナスは「聞く」ということは、相手を受け入れ、受け入れることで自分が破れ、傷つくことを良しとすることだと言いました。この聞くという作業を通して、自分を注ぎだす愛を神様から教えてもらうことができるのです。自分の破れから、主の平和が広がっていくのです。
一つのたとえ話をします。もし家が火事になったとして、家の前に消防車と消防隊員が万全の準備で来ているのに、自分だけで火を消していたらどうでしょう? 私たちはイエス様と共に生きるといっても、なんとなくイエス様の手を煩わせないように、迷惑をかけないように、自分でできることは自分でする、という遠慮がないでしょうか?
いつもイエス様は隣にいるけれども、自分の力ではどうすることもできないときだけ手伝ってもらおうとしていないでしょうか? まるで家に置いてある消火器のように、そばにあると安心だけど、なるべく使わないようにしておくような信仰です。しかし、それは本当の信仰ではなく、ただイエス様を都合のいいように利用しているだけかもしれません。
イエス様は、燃えている火を消したいと願っておられます。イエス様は、焦げついているあなたの心を修復したいと願っておられます。それを邪魔しているのはほかでもない、自分だったりするのではないでしょうか。
私たちは目の前のことだけしか見えないときがあります。「火事になってしまったのだから、早く火を消さないと」と思うのです。でも、信仰においては、目の前の状況がどうなるかわからなくても、自分がしていることをやめて、イエス様に「聞く」ことを優先する必要があります。レヴィナスが言うように、そこで自分を破り、イエス様を自らの王座に迎え入れることが、主と共に歩むということです。神様がみこころのままに私たちの内に働いて、志を立てさせ、事を行わせてくださる(ピリピ二・一三)という信仰が始まるのです。イエス様は、いろいろな境遇の中で迷い苦しむ私たちの心の火を消し、「わたしが指針である。わたしは決してあなたを見捨てない」と言っておられます。
「本当のありのままの私は、主と共に生きる私です。」
イエス様は、わたしにすべてをゆだねなさいと言っておられます。それは、主と共に生きる私が本当の“ありのままの私”で、自由に生きられる私だからです。イエス様は、私たちがありのままの姿に変えられるようにと、罪で焦げた魂を洗い聖め、新しくしたいと願っておられます。ですから、ありのままの信仰生活は、自分の賜物を活かす、自分の目的に向かって平安に進む、自分のやるべきことをするという生き方ではないのです。ただ主を愛し、主からの愛を受け、新しい自分を主と共に始めることです。
ありのままの私で主と共に歩む人生には、大きな感動があります。それは信仰による感動です。アブラハムが行き先を知らずに神に従ったように、私たちも自分の“わかる・できる”を超えて、わからなくても主が導く冒険的信仰に変えられていきます。できないことに対しても主の力により立ち上がり、主の愛によって行っていくのです。
主と共にその愛を育むとき、私たちは外向きになります。主にあって出て行く、ありのままの私に変えられていくのです。
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