書歴史的価値のある貴重な書!―弾圧の中で信仰に生きた人々―

歴史的価値のある貴重な書!―弾圧の中で信仰に生きた人々―

 
日本キリスト改革派・宿毛教会 牧師 牧田吉和

『知られなかった信仰者たち
耶蘇基督之新約教会への弾圧と寺尾喜七「尋問調書」』
川口葉子・山口陽一 著
四六判 900円+税
いのちのことば社

本書は小著である。しかし、歴史的価値のある貴重な書である。タイトルに「知られなかった信仰者」とあるが、ほとんど歴史的には埋もれたままであった信仰者たちの存在が発掘されている。天皇を人間と明言し、神社参拝を拒否し、弾圧された彼らの生き方は鮮烈である。この信仰者たちこそ、森勝四郎(一八七三~一九二〇年)と彼と共に歩んだ人たちである。

この人たちは、宗教団体法下では「耶蘇基督之新約教会」と称した群れであり、通称「森派」と呼ばれている。高知、特に安芸を拠点に全国各地で活動を展開した。評者が近郊の土佐山田に赴任した際、「森派」のことを知り、広く紹介され、歴史的に検証されることを強く願った。今回、本書が出版されたことを心から喜び、感謝する。

本書には、山口陽一氏の「序文」、川口葉子氏の論文(一~三章)、最後に「寺尾喜七 尋問調書」が収められている。序文では森勝四郎と「森派」の紹介、その教会史的位置づけが的確になされている。川口氏の叙述の視点は“弾圧され抵抗した主体”には合わされていない。むしろ、近代日本の宗教政策の中に「森派」を位置づけ、その教義が国家主義的体制の論理に取り込まれていく過程を追っている。これは重要な一つの探究の試みである。

一方、教会的現場の視点からは「抵抗する主体」としての「森派」に注目し、同派の教会史的評価と限界性を明らかにすることがより必要と思われる。歴史に生きる教会が「森派」から学ぶべきこと、同時に克服すべきことを明確にする必要がある。国家主義的体制との関係において、「森派」に対する主流派教会の姿勢の中に日本の教会の弱点が露呈している。「森派」を通して、「抵抗する教会の主体の確立」という教会論的課題の前に立たされるのである。

最後の「寺尾喜七、尋問調書」では、いくつかの問題点を含むにせよ、一信徒としての寺尾の堂々たる信仰告白を見出す。寺尾の毅然とした告白は、告白的に生き、抵抗し、戦う教会の心臓部に何がなければならないかを鋭く提示している。本書はすべての信仰者が目を通すべき書である。