信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」第10回 教会に行く理由①~礼拝に行くと逆に疲れるのはなんで?~
信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」
中村穣 (なかむら・じょう)
2009年、米国のウエスレー神学大学院卒業。帰国後、上野の森キリスト教会で宣教主事として奉仕。2014年、埼玉県飯能市に移住。飯能の山キリスト教会を立ち上げる。2016年に教会カフェを始める。現在、聖望学園で聖書を教えつつ、上野公園でホームレス伝道を続けている。
第10回 教会に行く理由①~礼拝に行くと逆に疲れるのはなんで?~
普段の生活に疲れている、それでもがんばって教会に行ったのに、かえって疲れてしまった。あまり兄弟姉妹と深い話ができず、かえって孤独を感じて落ち込んで帰ってきた。そんな経験が皆さんにはあるでしょうか?
今回は、この誰でも持つ“孤独”という心の奥にある「暗闇」に焦点を当てながら、特に教会に行く目的について考えてみたいと思います。
一九世紀のフランスに、体の弱い一人の若い修道女がいました。他の修道女たちみたいに大きなことはできないと葛藤しながらも、彼女は小さなことにこそ愛を込めることを心がけ、小さな自己犠牲をもって耐え忍ぶという生き方を選びました。
ある日、礼拝堂で彼女はバラの花びらを撒きながら、涙を流して神にお祈りしていました。つらい奉仕を終えて帰って来た先輩たちが、そんな彼女を見てどうして外へ出て奉仕をしないのか、と叱りつけました。先輩たちは、神を愛していたら奉仕をするはずだと言うのです。
彼女は、「奉仕をするために神様を愛するのではなく、ただ愛するという目的で神様を愛せることが幸いなのです」と告白し、主を愛するために涙を流して祈っていたという伝説が残っています。
この体の弱い修道女は若くして亡くなりますが、決して奉仕を否定していたのではありません。しかし、彼女は忙しく奉仕をする先輩の心のざわめきを悟っていました。しなくてはいけないから奉仕するのでは、神への愛があらわれないと知っていたのです。彼女は心の奥にある「暗闇」を大切にしていました。その場所で神と一対一で対話し、神の愛を深く受けていたのでした。
私たちは毎週、教会に何を求めて行っているでしょうか。何となく、教会には交わりが大切だ、という考えがあるように思います。確かにそういう面もあります。お互いに重荷を分かち合い、祈り合う。私たちは「汚れをも分かち合う家族」(『パウロの「獄中書簡」』本田哲郎、新世社)ですから、交わりを通して主にある関係を深めていく必要があります。しかし同時に、教会には孤独も必要です。私たちは一人で神様の元に、心の奥にある「暗闇」へと進んでいく必要があるのです。若い修道女のように、ただ主を愛する場所である至聖所へと一人進んでいくことが大切です。
その道は孤独ですが、そこに深い礼拝、主との出会いがあるのです。一人であって、しかし一人ではありません。クリスチャンは孤独にはなりますが、一人ぼっちにはなりません。なぜならイエス様がどんなときも一緒にいてくださるからです。ですから、暗闇へと続くこの孤独の道を、みなさんにも見つけてほしいと思います。
もう一人、この暗闇について語った人がいます。一六世紀のスペインで活躍した十字架の聖ヨハネという人です。安定した職を求めず、ただひたすら神を愛した人です。
彼は“第二の暗闇”という言葉を用い、達成感ではなく、主にすべてを委ねる生活への道を表現しています。暗闇は私が神を理解するための場所ではなく、ただ神の臨在だけを見つける場所だと言います。
言い換えるならば、神様の一点の光を見つけるための暗闇です。もし周りがキラキラしていたら、神様の放つ一点の光がかすんで見えなくなります。世の中の光にまぎれ込んで、どこに光があるかわからなくなってしまうのです。
暗闇は、神様の放つ一点の光を孤独のうちにしっかり見つめるためにあります。ジョン・ウェスレーは、信仰とは、神が私たちに与えてくださるものだと言いました。そして信仰は、「私たちの魂を照らす一点の光」だと表現しています。
これをふまえて考えると、信仰とは、私たちが神様を信じることではありません。神様から与えられる光を信頼して受け取ることです。その光は、消えることがない永遠の希望の光です。どんなときも私たちに与えられている信仰の光です。ですから、私たちの信仰が弱くなるということはありえないのです。なぜなら、神様はいつでも私たちを照らし続けてくださるからです。その光を受け取るかぎり、私たちは信仰を失うことはないのです。
そして、この光を見つけるためには、どうしても暗闇が必要なのです。暗闇を通して、私たちは自分が聖なるものへと変えられる体験をします。私の思いで始まる不確かな人生ではなく、神の愛に動かされる人生が始まるのです。神様が愛と恵みをもって私たちのすべてを生かしてくださる人生です。この暗闇を照らす一点の光を受けるために、私たちは教会に行くのです。
※好評連載につき単行本化『信じても苦しい人へ 神から始まる「新しい自分」』