書評Books 他者を理解するということ
映画監督 溝渕雅幸
『人生―人として生まれ、人として生きる』
柏木哲夫 著
B6判 1,200円+税
いのちのことば社
本書の冒頭で柏木哲夫先生は、「人間はたましいをもった存在である」と定義されている。先生のこれまでの生きてきた道のり、特にホスピス医として他者の魂との触れ合いの中から気づき学んだ「人として生きる中で大切なこと」の数々が一章ごとに繙かれていく。
本書を一気に読み上げて私の脳裏に浮かんだのは、柏木先生の他者を理解しようとする真摯な姿である。他者を理解するということは決して簡単なことではない。自身の最も近い存在であるはずの家族や仲の良い友人のことですら満足に理解できずに人生を閉じてしまうことさえある。そんな人生は決して豊かであるとは言えない。
「秋深し隣は何をする人ぞ」
松尾芭蕉最晩年のこの句は、他者理解の神髄であると私は考えている。芭蕉は常に隣の人はどうだったかということを考えながら、この句を詠んだ二週間後にこの世を去ったとされている。
物質的な豊かさを追い求めてきた結果、生き辛さが強調される今の社会は、つねに他者のことを思い、他者から思われなければ、本当の意味での豊かな人生を送ることは難しいのかもしれない。否、これは古来そうである。
聖書では最も重要な掟として隣人愛が語られている(マタイ二二章三四~三九節)。
私が本書『人生』を読み、あらためて気づかされたのは、この隣人愛こそが他者を理解する上で最も大切である、という至極当たり前のことだった。
この当たり前が最も難しい。
本書に綴られたあらゆる言葉は、この隣人愛の実践によって生まれたものである。
柏木先生の他者の魂の痛みに寄り添い続けてきたこれまでの人生は、本書のサブタイトルである「人として生まれ、人として生きる」ということの実践である。そこに生まれる深い人間理解こそが人生を豊かにする。そしてやがて訪れる臨終のときに、豊かな生を実感し、豊かな死を迎えることができると、本書は教えてくれている。