泣き笑いエッセイ コッチュだね! 第6回 ラクチン、ラクチン!

泣き笑いエッセイ コッチュだね!
#更年期 #うつ #親の介護 #教会のピンチ #牧師の孤独 #みことばの黙想 #おひとりさま #トンネルを抜ける #オトナの坂道

 
朴栄子 著

第6回 ラクチン、ラクチン!

よくよく思い返してみると、受け容れられなかったのは、認知症ではありませんでした。
ライフイベントのなかで、最大の危機、それは配偶者の死だそうです。確かにオモニはアボジを天に送ってから、三年ぐらいは沈みがちでした。けれども、これからは娘を支えていけばいいと気づいてからは、元気になってくれました。

こまごまとした教会奉仕、家事一切をしてくれ、家庭集会や病院訪問には必ず同行してくれました。

しかし微妙な変化もあったのです。会話の最後に「えへへ」とごまかすような小さな笑いが入るのです。そんなオモニを見たことがありません。急に知性が衰えたようで不快感をおぼえました。
いま思えばこれが認知症の前段階、軽度認知障害(MC1)のかすかなサインだったのかもしれません。自分でも少しおかしいと思うけれど、認めるのが怖い。わからないことが増えているけれど、指摘されたくない。いまならわかるそんな気持ちを、当時はさっぱりわかりませんでした。

ほどなく捜し物が始まりました。日に何度も、サイフ、カギ、メガネがないないと大さわぎ。これが始まるとわたしはいつも、「ない、ないない、な~い♪」とデタラメな節をつけて歌いました。思わずオモニもケラケラ笑います。平和でよさげでしょう。でも、あたたかく見守ったのではなく、自分のイライラを抑えるために歌い、半分は馬鹿にしていたのです。ひどい娘です。

神さまと愛するタミちゃん、ごめんなさい!

突き詰めてみると、オモニの老化に加えて自分が歳をとることも、受け容れられなかったのだと思います。なんてことでしょう。若くて元気がいい、バリバリ仕事ができるのがいい、成果を出せるのがいい。神さまが求めてもいない、この世の価値観から抜けきれなかったのです。

歳をとって衰えるのは当たり前のことです。それすら受け容れられないわたしが、進行が早かったオモニの変化に耐えられるはずもありません。

毎日がいっぱいいっぱいで、ゆとりの「ゆ」もなく、パンパンに張った風船のような日々でした。
神さま、助けて! あなたかしか、いないんです!

そう祈りながら、ブルドーザーのように目の前の山をゴゴーッツと崩しては運ぶ日々。自分で自分のことを、介護マシンまたは奴隷だと思っていました。卑屈です。

そうして三年が過ぎたある日のこと。ふと、オモニの顔を見て、ハッとしたのです。

あれっ? かわいい! 超かわいいやん!
(何だろうこの感覚。夢から覚めたみたい)

後から知りましたが、「認知症受容の四段階」というものがあり、家族はほとんどこの段階を通るそうです。
一、戸惑い・否定
二、混乱・怒り・拒絶
三、割り切り・あきらめ
四、受容 

わたしの場合、第二段階がとても長くつらかったのです。割り切ることができ、また受容ができるようになると、驚くほど平安でラクチンです!

認知症にはアルツハイマー型、レビー小体型、血管性などいくつかの型があり、それぞれ症状や特色がありますが、基本は不安病だと思います。ある日突然、自分が誰だか、どこにいるのか、日付や時間や方向感覚までもわからなくなったと想像してみてください。不安で不安でたまらないはずです。

暗いトンネルを抜け、いまは認知症のタミちゃんをそのまま受け容れることができるようになりました。また五十五歳の自分のことも、白髪が増え、たくさんの仕事ができないことも含めて、愛おしいと思えるようになりました。

わたしが平安だと、タミちゃんも平安。以前のようにパニックになったり、不機嫌になったりすることがほぼありません。自信をなくして「わたしはダメな人」という悲しい発言も、ありません。
元気で長生きするんだよ、と言うと大きな声で「うん!するよ」と応じてくれるのです。幸せです!

「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」(イザヤ43・4)

在日大韓基督教会・豊中第一復興教会担任牧師。1964年長崎市生まれの在日コリアン3世。
大学卒業後、キリスト教雑誌の編集に携わる。神学修士課程を修了後、2006年より現職。

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