日常の「神学」 今さら聞けないあのこと、このこと 第8回 教会学校

岡村 直樹

横須賀市出身。高校卒業後、米国に留学。トリニティー神学校を卒業し、クレアモント神学大学院で博士号(Ph.D.)を取得。2006年に帰国。現在、東京基督教大学大学院教授、日本福音主義神学会東部部会理事、hi-b-a責任役員、日本同盟基督教団牧師。

 

 

子どもたちが教会で聖書を学ぶ、いわゆる「教会学校(日曜学校)」を始めたのは、ロバート・ライクス(一七三六~一八一一年)というイギリス聖公会の信徒でした。

産業革命の嵐が吹き荒れていた当時のイギリスの都市部には、低賃金の工場労働者として地方から来た多くの少年少女たちが集まっていました。教育の機会を持たなかった彼らの状態を嘆いたライクスが一七八〇年、他の信徒たちと協力して、少年少女たちの唯一の休日であった日曜日に、彼らの教育に取り組んだのが「日曜学校」の始まりでした。

当初は貧困層のみを対象とし、聖書の学びに加え、言葉の読み書きも教えていましたが、その後、幅広い年代を対象とした信徒教育へとその姿を変えつつ、イギリス中の教会、そして世界中への教会へと広がっていきました。もちろん、一七八〇年以前の教会にも教育の機会はありましたが、近代的な「学校」という形式を用い、組織的に始めたのがライクスだったのです。今日、世界中の教会は、さらに多様な形で熱心に教育に取り組んでいます。
「教育」は、クリスチャンが形作られる上で必要不可欠な要素です。それは教会の歴史を見てもわかることですが、何よりも聖書自身が「教育」の重要性を繰り返し語っています。

エジプト脱出後、約束の地であるカナンに入ろうとするイスラエルの民全体に対し、モーセを通して神様は、さまざまな戒めや定めを与えられましたが、そのひとつが「教育」でした。申命記六章一〜九節の記述はその代表例です。そこには「教育」の内容、対象と責任、目的と結果、さらにはその方法までもが記されています。

バビロンでの捕囚から帰還し、新たな国を形作ろうとするイスラエルの民全体に対し、ネヘミヤやエズラを通して神様は、モーセの時代に与えられた戒めや定めを再確認するための「教育」の重要性を説かれました。ネヘミヤ八章一〜九節には、律法の書をわかりやすく説明することや、「教育」の役割分担などが示されています。

新約聖書の中では、イエス様がさまざまな方法を用いて、熱心に弟子たちを「教育」する姿を数多く見ることができます。パウロもまた、異邦人の文化の中で、信仰共同体を形成する初代教会のすべての信徒たちを対象に「教育」の大切さを繰り返し語っています。

では、現代の「教会学校」の意義とは何でしょうか。そこには、聖書の言葉を覚えるだけにはとどまらない、多様で豊かな意義が存在します。

まずは聖書の言葉の内面化です。牧師の礼拝メッセージは、非常に大切な「教育」の機会ですが、残念ながらそれだけでは不十分です。礼拝メッセージはほとんどの場合、一方向的に語られるからです。メッセージ等を通して語られた聖書の言葉を消化し、自分自身の日常生活の中にその内容を落とし込んでいくには、他者と意見を交換しながら、より主体的に考察する必要があります。そのために神様は、信徒同士の交わりの場でもある教会での学びを備えてくださいました。したがって「教会学校」は、どの年齢層が対象であっても、先生ではなく、生徒が主役となる学びの場です。

「教会学校」は、そこに関わるすべての人が、共に学び、共に成長する場でもあります。生徒は先生から、また他の生徒から学び、先生も生徒から学びます。そこは人格と人格が交わる、世代を超えた、相互成長の場なのです。

「教会学校」は、信仰の共同体の形成をもたらします。礼拝だけに出席し、挨拶もそこそこに帰るだけでは、人と人のつながりが生まれません。「教会学校」の中で、聖書の言葉を中心に、本音で自らの思いを語り、共に分かち合い、共感し、祈り合う。幼い時から、また大人になっても継続されるそのような交わりを通して、愛の共同体としての教会が形成されていきます。

「教会学校」は、教会の信徒リーダーシップを育成します。教会のリーダーには、神への、そして幅広いの年代の人に対するへりくだりが求められます。決して上から目線で「教えてあげる」のではなく、聖霊の働きを願い求め、責任をもって聖書の言葉を取り扱いつつ、年齢に関係なく、すべての生徒が主体的に関わることができる学びの雰囲気を作るのが、「教会学校」の先生の役割です。リーダーに欠かせない資質をそこで磨くことができるのです。

「教会学校」は、子どもが対象と思われがちですが、本来、教会における教育は、すべての年齢層が対象となるべきです。言葉を覚えたばかりの子どもから、九〇代の先輩信徒までが、自分を「教会学校」の生徒と自覚することができたら、なんと素晴らしいでしょう。