信じても苦しい人へ 神から始まる新しい「自分」第17回 信仰と葛藤④

中村穣 (なかむら・じょう)

2009年、米国のウエスレー神学大学院卒業。帰国後、上野の森キリスト教会で宣教主事として奉仕。2014年、埼玉県飯能市に移住。飯能の山キリスト教会を立ち上げる。2016年に教会カフェを始める。現在、聖望学園で聖書を教えつつ、上野公園でホームレス伝道を続けている。

〜私たちの信仰は揺れたほうがいい!〜

「神様から離れているのだろうか」と悩むとき、あなたは神様から離れていません。むしろ神様に近づいています。ただ悩み方が少し違っているかもしれません。

もし神様から離れていたら、決して悩まないはずです。愛の反対は無関心ですから、神様から離れているときは悩みさえしないはずです。あなたが悩んでいるということは、今も神様があなたを呼んでいて、その声を聞けているということです。

救われたときの熱い確かな信仰がない、と悩むときでさえも、あなたは昨日よりも今日もっと神様の近くにいるはずです。私たちの信仰は、揺れ動いていいのです。揺れ動かない強い信仰を持とうとするのではなく、揺れ動く弱さを持って主の前に出るのです。

あなたが見ている弱さは、神様が見せている弱さです。しかし、責めるために見せているのではありません。あなたがもっと神様の似姿になるために見せている弱さです。

だからあなたが自分の弱さに苦しむとき、自分自身を責める必要はありません。それよりも、神様の前にもう一度行きましょう。ありのままの私で主の十字架のもとに下るのです。

私たちの苦しみは、苦しみで終わりません。なぜなら、イエス様が計り知れない愛と計画をもって、苦しみの先へと私たちを導いてくださるからです。

神様があなたの弱さを通して、導いてくださることを知ることは本当に大切です。なぜならそれを通して、自分の人生は“自分から始まるのではない”ということを知るからです。

私たち信仰者は、神様の贖いのうちに生かされているのです。私たちは、神様の愛によって生かされているのです。日々、神様からいのちと人生を受け取りつつ、主と共に生きているのです。それなので、私たちの信仰生活には、神様に聴くことが本当に大切です。

以前、私の尊敬している先生が“心の揺れ”について教えてくださいました。先生のオフィスからは森の木々が見えます。先生から「微妙に木々が揺れているのがわかるから、よく見てみなさい」と言われました。

じつは、この微妙な揺れが人の心の波長と合っていて、私たちが自然を見るときに心が安らぐのだそうです。都会にいると気持ち悪くなる人がいます。それは人間が造ったビルや建物は揺れないからです。この木々の揺れは人間の心を癒やす効果があると心理学的にも証明されていると聞き、感動しました。

先生は木々を見て、「神様はあえて、人を揺れる木々の中に造ってくれたのではないか」と言われました。人間も揺れる存在として造られていて、その揺れを通して私たちは神の存在を求めることができると神様は教えておられるのではないか、ということです。神様がいつも立ち直らせてくださることを信じることができるようにと、この揺れがあるように感じました。

私たちの信仰は、いつも揺れ動かなくなることを目的にするのではなく、揺れ動かない神様が、揺れ動く私たちを何度でも立ち上がらせてくださることを信じることです。

あなたが揺れ動くとき、神様が「頼りないから、もっと信仰を持て」と責めておられるのではありません。揺れ動くことを通して、あなたを呼んでおられるのです! そして、キリストの愛から始まるあなたと神様が出会うことができるのです。

神様は必ず、その計画のうちに私たちを生かしてくださいます。信仰は、神様が私たちを今日はどこへ向かわせるのかと、神様を自分の意思の前に置くことから始まります。私たちがどうやって生きるのかという“自分からの視点”で始まるのではありません。

私たちは信仰者として、目に見える目的や解決ではなく、目に見えない神様をいつも見ていくわけです。ある意味、主は「これをしなさい」と言っていると信じるほうが簡単です。それは実際に、目に見えるものになるわけですから。

しかし、目に見えるものを信じるのに信仰は必要ありません。私たちは目に見えない神様を信じているのです(ローマ八・二四)。それゆえ、私たちの信仰は揺れ動いていいのです。揺れる私のまま、イエス様のもとに出ていくものでありたいですね。

われわれは神についてただ一つのことしか知りえない。神が、われわれがそうであるところのものではないということである 。われわれのみじめさだけがこの事実を表象している。われわれのみじめさを眺めれば眺めるほど、われわれは神を眺めていることになる。
(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』)

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