特集 落ち着かない時代に、じっくりと聖書を読もう 無理なく楽しい家庭礼拝の恵み
新しい年の始まりを、聖書のことばとともに迎えてみませんか?
おうちで家族と、仕事の合間にひとりでなど、心騒ぐニュースが多い今だからこそ、じっくりと落ち着いて聖書を読むことを考えます。
日本長老教会・おゆみ野キリスト教会 牧師夫妻 出立哲也・美登里
我が家は、夫婦と子ども八人の十人家族です。現在子どもたちの年齢は、一番上が二十三歳、一番下が八歳です。我が家の家庭礼拝の変遷をお話しします。
とにかく短く! できれば楽しく!
一九九九年に神学校に入学し、妻と長女と共に家族寮で生活を始めました。神学校の三年間で、長男と次女が与えられ、家族五人となりました。その頃、手探りで家庭礼拝を始めました。
子どもたちもまだ幼かったので、子ども向けの賛美歌を歌い、聖書絵本を読んで短くお祈りして終わり、といった簡単なものでしたが、それさえできないことも多かったです。キーワードは「とにかく短く! できれば楽しく!」でした。
楽しさ追求期
神学校卒業後、導かれた教会で出会った宣教師ご家族に大きな影響を受けました。そのご家族は、ご夫婦と子ども九人の大家族で、あるとき私たちを食事にお招きくださいました。
そこの子どもたちは皆とても仲が良く、うちの小さい子どもたちの面倒を見てくれて実に優しい子たちでした。
私たちがこれまで当然だと思っていた、「中高生は反抗期だから、親や訪問客に失礼な態度を取って当然」という思い込みが、まったく覆されました。
「どう育てたらこういう子どもに育つんだろう?」と思っていたら、食後に「みんなで家庭礼拝をしましょう」ということになりました。
賛美し、みことばを分かち合い、手をつないで祈りました。お兄ちゃん・お姉ちゃんたちにたっぷり遊んでもらったうちの子どもたちも、終始リラックスして、彼らの膝の上で眠った子もいました。なんとも言えない温かい雰囲気で、心が満たされました。
感銘を受けた私たちは、翌日から見よう見まねで家庭礼拝を始めました。賛美をし、お互いのために手をつないで祈るとき、直前まで小競り合いをしていた子どもたちも、そんなことは忘れたようにきょうだいのために祈る姿を見て、私たち親が反省することもしばしばありました。
また、我が家は子どもたちを幼稚園に送らないで、ホームスクールをしていたので、遊びの中でみことばや賛美に触れられるような工夫をしていました。子どもたちはごく自然に「神様はいつも一緒にいてくださる方」だと感じていたのではないかと思います。
さらに楽しさ追求期
そうこうするうち、いつの間にか子どもが八人いる大家族になっていました。子どもたちは、クリスチャンスクールで学び、楽器や新しい賛美を覚えてきては、家庭礼拝を音楽で導いてくれるようになりました。
さまざまな楽器や声を使い、それぞれが自由にハーモニーを作って賛美する時間は、とても楽しいものでした。そのうち、自分たちでも賛美を作って家庭礼拝で歌うようになりました。
最もよく歌ったのは「イエスさまありがとう」という賛美で、みんなで手拍子しながら歌い、一人ずつ順番にその日感謝だったことを分かち合い、最後に「決めポーズ」をするというものです。子どもたちはその「決めポーズ」を考えるのが大好きで、変顔をしたり、変なポーズをしたり、とにかく笑わせたもの勝ちという感じでした。
この頃は、中高生から赤ちゃんまでいて、それぞれの年代に応じた悩みを話し合ったり、祈り合ったりすることで、家族の絆が一層深まっていったと思います。私たち夫婦も良い格好を見せたいという欲を抑え、時には夫婦喧嘩の解決のために祈ってもらったりもしました。
また、家庭礼拝の後には、なるべくおやつを準備して、楽しみを増やす工夫もしていました。みことばは、読んだり読まなかったりしましたが、おやつは欠かさなかったような気がします。
もちろん、いつもみんなの機嫌がいいわけではないので、「今日はいまいち乗り気じゃなかったな」というときもありました。正直にいうと、お客さんが来てくださって、一緒に家庭礼拝を持ったときのほうが、生き生きして盛り上がりました。
一度は途絶えかけたものの(現在の状況)
子どもたちも大きくなってきて個人の予定も増え、夕食を家族全員でとるのも、家庭礼拝を毎日持つのも難しくなってきました。上の三人は独立し、なかなか家族全員で揃うこともなくなり、家庭礼拝も「いる人だけでお祈りして終わり」という状況が続いていました。
しかし、二〇二〇年の春からのコロナ禍で、再び家族全員が揃う日が多くなり、家庭礼拝を持つことができるようになりました。末の子も小学生になり、字が読めるようになったので、聖書を輪読できるようになりました。
二〇二〇年、我が家で流行っていたのは、輪読のとき、「どれくらいイケボ(イケてるボイス。良い声の意)で読めるか」というものでした。みんなそれぞれに工夫を凝らして、イケボを追求しました。あまりに度が過ぎて、内容が頭に入らないようなときは、お互いに注意しましたが、外出もままならず、学校も仕事も先行きがわからないなか、家族で笑い合い祈り合えたことは、本当に大きな恵みでした。
昔から細々とでも、家庭礼拝を続けてきたからこそ、与えられた恵みではないかと思っています。
「見よ、なんという幸せ なんという楽しさだろう。/兄弟たちがひとつになって ともに生きることは。」
(詩篇一三三・一)