316 時代を見る眼 キリスト教と科学〈1〉聖書は非科学的?
国際基督教大学 教授 森島泰則
新型コロナウイルスの世界的流行(パンデミック)によって、2020年は世界史に深く刻まれるでしょう。
私たちはまだその只中にいて、2021年、またその先の未来はどうなるのかと、多くの人々が不安とストレスを感じて暮らしています。
このようなとき、キリストの福音が希望と力を与えると信じ、証しすることは、クリスチャンの使命といえるでしょう。しかし、宗教的だという理由で耳を傾けようとしない人々がいることも事実です。
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聖書は今から2000年以上も前の古代世界で書かれたもので、科学が発達した現代には通用しないと考える人は少なくありません。
たしかに、科学の目覚ましい発達によって、自然界の仕組みが解明され、高度な技術を生み出しました。科学は、現象の観察から一貫性のある理論や法則を導く強力で重要な思考法です。
反面、その力のゆえに、「あらゆる知識は科学によらなければならない」、「科学的根拠のないものは確かな知識とは言えない」という考えが生じ、科学界のみならず一般社会にも暗黙のうちに浸透している側面があります。
神の存在や聖書を否定する背景には、このような考えがあることを知っておくことは大切です。
しかし、この考えは誤りです。なぜなら、科学が解明できるのは自然界に存在する“モノ”だからです。
神は自然界のモノではありません。したがって、科学的証拠がないことが、神や聖書を否定する理由にはなりません。
一方、聖書が信頼できることを立証するのは不可能なのかといえば、そうではありません。キリスト教信仰は根拠に基づいたもので、科学の土台でもある理性的な探求によって立証することができると、オックスフォード大学の数学者でクリスチャンのジョン・レノックス博士は語っています。
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聖書は「あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい」(Ⅰペテロ3・15)と教えています。
「弁明」とは、筋道立てて説明することです。この不確実性の時代にこそキリストにある希望を弁明し、「世の光」となりたいものです。