ヘブル語のススメ ~聖書の原語の世界~ 6回目 活用しない品詞の話
城倉啓
1969年、東京生まれ。西南学院大学神学部専攻科修了後、日本バプテスト連盟松本蟻ケ崎教会の牧師就任。2002年、米国マーサ大学マカフィー神学院修士課程修了後、志村バプテスト教会牧師を経て、現在、泉バプテスト教会牧師、東京バプテスト神学校講師。
ヘブル語の暗号解読のコツは、品詞ごとの難易度に注目し、簡単なものからクリアしていくことです。簡単か難しいかの基準は二つ。①「文字数が少ないものほど簡単」②「辞書が引きやすいものほど簡単」。
①は、当たり前ですね。②については説明が必要です。
ヘブル語の品詞には、活用するものとしないものとがあります。活用するものについては「辞書の見出し語」まで復元しないと辞書を引けません。たとえば(※下から上に読んでください〔hithallaktî〕)という単語の辞書の見出し語は、(hālak)です。この三文字までさかのぼるのです。ほんの一単語なのに活用しまくって、前後に二文字ずつ付け加わっているのがおわかりでしょうか。の意味は「歩む」ですが、の意味は「私は自由に歩いた(散歩した)」です。エデンの園での神の歩きぶりや、神と共に/神の前で自由に生きたエノクやアブラハムの歩みと同じ表現です(創世三・八、五・二四、二四・四〇)。
まったく活用しないのが固有名詞・代名詞・疑問詞です(1レベル)。活用はしないけれども曲者なのが前置詞・接続詞・冠詞(2レベル)。活用するけれども、動詞ほど難しくないのが名詞や形容詞です(3レベル)。動詞は最も活用が激しい品詞です(4レベル)。
今回は最も簡単な固有名詞、代名詞、疑問詞。易しい1レベルから学び、4レベルまで楽しくクリアしていきましょう。動詞は「ラスボス」、特に「不規則動詞」はみなさんにとって最強のライバルです。ちなみに先ほどの「歩む」は不規則動詞の一つですから最高難度でした。
固有名詞とは、人名や神名、民族名、地名などのことです。固有名詞の解読は、極力省エネで済ますことをお勧めいたします。日本語聖書を横に置いておけば、読んだ時点で「誰のことか/どこのことか」が解読できるはず。つまり、辞書すら引かなくていいのです。ただし、日本語聖書の片仮名の表記と異なる人名や地名にだけは注意をしましょう。
たとえば(hebel)は「アベル」という人名。「エジプト」という地名は(misrayim)という綴りです。日本語の表記と著しく異なる固有名詞は辞書を引く必要があります。
特別な注意を一つ。日本語訳聖書で「主」と翻訳されているのは、(YHWH)という神名です。「主という名前をみだりに唱えない」ために、ユダヤ人たちは神の固有名を(ǎdōnāy〔我が主〕)と読み替えました。
「アドナイ」と読ませるために付けた母音記号なのです。その名残で「主」と訳します。新改訳聖書はこの事情を汲んで、太字の「主」としています。
神の固有名の読み方は「ヤハウェ」と推定されています。文語訳の「ヱホバ」は、をyěhōwâとそのまま読んだ結果の誤読です。
ヘブル語の代名詞は必ず主語です。代名詞(˒ǎnōkî)は「私は」を意味します。「あなたたちは」「彼女たちは」「私たちは」等、この他の代名詞も活用しないので、辞書をそのまま引くことができます。
「誰」「どこ」「何」「なぜ」などの疑問詞も活用しないので、そのままの形で辞書を引けます。「誰」は(mî)という単語です。「どこ」は(˒ê)という単語です。短くて覚えやすいですね。
難易度1レベルの品詞だけでも、聖句を実際に読むことができます。
「わたしはヤハウェ」。
これで立派な一文です。ヘブル語はBE動詞がなくても一文を形成できます。日本語話者は英語話者よりもこの点で有利です。これは十戒の前文、ご自分を啓示される聖書の神の言葉です(出エジプト二〇・二)。
「私は誰か」。
ヘブル人なのか、エジプト人なのか、ミディアン人なのか、自分自身のアイデンティティに苦しむモーセの言葉です(出エジプト三・一一)。
「アベルはどこか」。
神はカインに弟アベルの所在を問いました(創世四・九)。もちろん神は、野にアベルの遺体があることを知っています。神の問いの目的は、カインに悔い改めの機会を提供するということにあります。
これらの聖句は、すべてたったの二単語から成っています。この武骨な肌触りがヘブル語原典の魅力です。それだからこそ想像力が喚起され、「いかに訳すべきか」「どう読むか」と、自分の知性や敬虔さや、ひいては人生そのものが総動員させられます。