特集 キリスト教書店の魅力~本を買うだけじゃない楽しさ~  予想外の出会いがある書店

書店員との交流、良書との思わぬ出会い―本を買う以外にも楽しさがある「キリスト教書店」の魅力に、あらためて迫ります。安心して外出ができるようになった際には、ぜひお近くのキリスト教書店へGO!

 

元CLC BOOKSお茶の水店 書店員/キリスト者学生会全国事務局主事 刈込里沙

 
初めてキリスト教書店に入ったのは小学生の時。自分の聖書のカバーを買うために母に連れられて行った。知っている人しか入っていかないような、奥まったお店の扉を恐る恐る入っていく。一歩踏み入れた瞬間にふわっと香った紙の香り。本屋さんと文具屋さんが一緒になったようなこじんまりとした店内で、優しい讃美歌のBGMが流れていた。

お目当てのコーナーにたどり着くと、友人と行くようなお店には売っていない、あの分厚い聖書がすっぽり入るカバーが置いてある! デザインもいろいろあって、「自分のカバー」を選ぶのにすぐに夢中になった。母と同じ種類のカバーもいいかもしれない。でも逡巡して私が手に取ったカバーは、母の物とは違うものだった。深い紺色の硬い布の生地は、いかにも聖書をちゃんと守ってくれそうだったし、チャックと小さなチャームの金色が布の紺色にとてもよく映えていて、おしゃれに見えた。フチと背表紙とにあしらわれた合皮のやわらかいブラウンがまたかっこいい。

少し大人びたデザインにも見えたが、きっと大きくなっても良い相棒でいてくれる気がする。「自分のカバー」を見つけられたことに満足して、ケースを胸に抱えてあらためて辺りを見回すと、「聖書インデックスシール」に「聖書用マーカー」、羊のモチーフのチャームや、みことばが書いてあるしおりが目に入ってきた。

「なるほど、キリスト教のものが欲しければ、ここに来ればなんでもそろうのだ」と、それまで知らなかった世界が広がり、子どもながらにその専門性に妙に感心した、そんなキリスト教書店デビューだった。

書店とは、自分にとって予想外の出会いがある場所だ。それは小学生の頃の感覚から変わらない。かつて書店員として働いていた時を思い起こすと、目当ての物だけを買って真っすぐレジに来るお客様ももちろんいるが、意外と少数派だ。新刊の棚や、その周辺に陳列されている本の表紙や背表紙をぐるっと見てまわり、レジまでたどり着く方が多い。買うまでには至らなくても一、二冊手に取ってパラパラとめくる。やたら気になるタイトルがついている本、なぜか手が伸びてしまった本。そこにはその人自身の潜在的な興味に触れる何かがあり、手に取るという行為にまで発展するのだろう。

書店とは、それだけ自分の可能性を広げることができる場所なのだ。神様の小さなささやきや、導きが感じられる場所とも言えるのかもしれない。

本の背表紙だけを見たときに、どうにも目に留まる単語がある。もしかしたらその分野を学ぶよう導かれているのかもしれない。用品を見たときに、慰められる聖句がある。逆に、あの聖句のグッズはないのだろうか、と思い浮かぶ聖句がある。意外と自分の内側に積み重なっている聖句の存在を知ることになるかもしれない。顔が思い浮かぶ人がいたら、とりなし祈るよう導かれていると受け取ることができる。

そんな場所である書店に、ぜひたくさんの人に足を運んでほしいと思う。

*CLCお茶の水店は2020年11月末をもって営業を終了。2021年1月から「オアシスお茶の水店」として再オープン!