新連載 スピリチュアル・ジャーニーその後 ~真の人間性の回復へのプロセス~ 第一回 旅の始まり

坂野慧吉(さかの・けいきち)
1941年、東京都生まれ。その後、北海道に移住。福島高校、東京大学卒業。大学生時代にクリスチャンとなり、卒業後、聖書神学舎(現・聖書宣教会)に入学。その後、キリスト者学生会(KGK)の主事を経て、1971年より浦和福音自由教会牧師。

以前、「魂の師」「魂の友」との交わりの中で経験したことを綴った『スピリチュアル・ジャーニー』を出版しました。この連載では、その後の二〇〇一年以降のことを書いてみたいと願っています。

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二〇〇一年六月。スイスのラサでの「ライフ・リヴィジョン・セミナー」に参加したとき、私はその最初の日に主の御前に祈りをささげた。そのとき、主はみことばの約束をくださった。「イスラエルの聖なる方、神である主はこう言われた。『立ち返って落ち着いていれば、あなたがたは救われ、静かにして信頼すれば、あなたがたは力を得る。』」(イザヤ三〇・一五)

私は、主の約束を信じて、祈りをささげた。第一は、主の御前に静まり、主との交わりを深められること。第二は、今までの自分の歩みを振り返り、今後どのように主に仕えたらよいかを導いていただくこと。第三は、自分自身の心の暗闇に光を当てられ、自分の本当の姿を知らされ、癒やされて隣人との関係を深められることであった。

「神よ 私を探り 私の心を知ってください。/私を調べ 私の思い煩いを知ってください。/私のうちに 傷のついた道があるかないかを見て/私をとこしえの道に導いてください」という詩篇一三九篇二三、二四節の祈りが私の祈りとなった。

「主よ。私はようやくここに来ました。あなたは、ここで私を待っていてくださったのですね。私はあなたに頼らず、自分に頼って走り回って疲れてしまいました。あなたの御前に静まり、あなたの御顔を慕い求めます。」

でも、私はいったいどのような顔をしていたのだろうか。

奉仕三十年の疲れ

浦和福音自由教会の牧師として三十年間奉仕をして、疲れがたまっていた。その年一月に「突発性難聴」のため、二週間入院した。以前から教会の役員会から、休暇をとるように勧められていたが、先延ばしにしていた。

退院後、役員会の配慮で四か月の休暇をいただくことになった。スイスで六月にもたれるセミナーと、九月の後半に日本人向けにもたれるセミナーの間の二か月半を、どのように過ごすかを思案していた。私はイギリスの神学校でじっくり学んで、「牧会学」をまとめようと考えていたが、息子のひとりから「お父さん。勉強もいいけど、いろんなところに行って、いろんなことを見て、いろんな人と会ったほうがいいと思うよ」と言われ、納得してヨーロッパのさまざまな国々を訪問することにした。

 

主が計画された旅

スイスの最初のセミナーで学んで経験したことが、その後のさまざまな国々での旅の中でつながり、九月のセミナーに流れ込んでいく。主のご計画が驚くべき方法で実現していくことを経験させられた。この旅を音楽にたとえれば、いくつかの主題があって、それが時により、国によって、いくつかのバリエーションとして展開し、最後に主題が再び現れると表現できるかもしれない。
この旅の主題は、「キリストによる真の人間性の回復」と言える。この音楽の中で、「休止符」はことばと音楽を奏でるために、なくてはならないものなのだ。

私が参加した「ライフ・リヴィジョン・セミナー」はハンス・ビュルキ師がリーダーであったが、聖霊の導きにより、みことばの朗読と黙想、そして分かち合い、さまざまなプラクティスを通して、「神との交わり」と「自分自身」とを見つめ直すセミナーであった。

セミナーの初めに、テーマのみことばが読まれたが、それは私がいただいたイザヤ書三〇章一五節のみことばであった。続いて先生は、「私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです」(エペソ二・一〇)から、私たちは「神の作品であり、神によって備えられた存在である」と語られた。

さらに「私たちは神の詩(ポエム)であり、神はその詩を書く詩人である」と表現された。神によって造られ、キリストによって贖われ、それぞれが独自の輝きを持つ「神の作品」であり、「神の詩」である。この「神の詩」は、「沈黙から生まれる」「この沈黙は愛で満ちている」「沈黙から喜びと歌とことばが出てくる」と説き明かされた。

私はさまざまな奉仕をし、忙しく動いているが、忙しさの中で自分を見失っていた。主イエスが弟子たちに、「さあ、あなたがただけで、寂しいところへ行って、しばらく休みなさい」と言われたように、私にも休息が必要だった。神が私を「休息」「沈黙」「神との交わり」へと招かれていると信じることができた。

※『スピリチュアル・ジャーニー  福音主義の霊性を求めて』(いのちのことば社、1999年)