ヘブル語のススメ ~聖書の原語の世界~ 10回目 人称語尾の話
城倉啓
1969年、東京生まれ。西南学院大学神学部専攻科修了後、日本バプテスト連盟松本蟻ケ崎教会の牧師就任。
2002年、米国マーサ大学マカフィー神学院修士課程修了後、志村バプテスト教会牧師を経て、現在、泉バプテスト教会牧師、東京バプテスト神学校講師。
人称語尾は品詞ではありません。一つの単語になることもありません。名詞や前置詞や動詞といった、単語の末尾にくっつくコバンザメのような存在です。しかし侮るなかれ。品詞ではないために、人称語尾は辞書に載っていません。「こういうものがある」という知識と、一覧表が掲載されているページを知らなければ、暗号解読をすることはできません。
人称語尾の形は二種類あります。①名詞・前置詞・間投詞につく場合の形と、②動詞につく場合の形です。翻訳の仕方は四種類あります。A名詞、B前置詞、C間投詞、D動詞です。
名詞につく場合は「誰それの」と訳し、前置詞につく場合は前置詞の意味にしたがって多種多様に訳します。間投詞につく場合は「誰それが」。動詞につく場合は、「誰それを」か「誰それに」と二種類に訳し分けます。
①名詞・前置詞・間投詞につく場合の人称語尾の形
A 名詞に人称語尾がつく場合の解読を、聖句で説明いたしましょう。創世記二七章三二節にこうあります。
一つ目の単語は、必ず主語になる人称代名詞です。は「私は」という意味でした。二単語目の語尾を、左の表を見て二人称男性単数「あなた(男性)」という人称語尾だと見破りましょう。を切り落として、の形で辞書を引くとが「息子」という意味の名詞であることがわかります。名詞に人称語尾がつく場合は必ず「誰それの」という意味ですから、「あなたの息子」となります。二単語合わせて「私はあなたの息子!?」が直訳です。いぶかるエサウの気持ちがよく表れた一言です。
B 前置詞に人称語尾がつく場合は、前置詞の意味にしたがって多種多様な翻訳になります。もっとも頻度の高い、やっかいな一文字前置詞で説明しましょう。「~に」「~のために」「~に属する」です。
という言葉は、主からアブラムへの命令です(創世一二・一)。一単語目は、次回以降学ぶ動詞「あなたは行け」です。問題は、ほとんどの翻訳が訳出していない二単語目。前置詞に人称語尾がついていますので、「あなたに」「あなたのために」「あなたに属する」などの多種多様な翻訳がありえます。この文脈では、「あなたに」か「あなたのために」です。主はアブラムに、「メソポタミアからの脱出はあなたのためなのだ」とも、「これはあなた自身になるための旅なのだ」とも言い含めています。このニュアンスはヘブル語原典のみによって看取できるものです。
C 間投詞に人称語尾がつく場合は、「誰それが」と訳します。イザヤ書六章八節の預言者イザヤの言葉は「ここに私がおります」と滑らかに翻訳されていますが、原語はたった一単語です。これは「見よ」という間投詞に一人称単数の人称語尾がついている形です。
直訳は「見よ、私が」です。このは、呼びかけに対する返事として多用されます。たとえば創世記二二章一、七、一一節のアブラハムの返事はすべてこの言葉です。こう考えると、イザヤも胸を張って「我ここにあり」と言ったのではなく、うつむいてか細く「はい」と返事をしたのかもしれませんね。
②動詞につく場合の人称語尾の形
動詞につく人称語尾は「誰それに」「誰それを」という対象を示します。形は名詞につく場合とそっくりです。
イザヤ書六章八節のイザヤの発言は、次の言葉でしめくくられます。。動詞「投げる」「送る」「伸ばす」に、「私を」という人称語尾がついています。イザヤはきれいに脚韻を踏みながら、「見よ、私が。あなたが私を投げよ」と神に応えます。語れば語るほど罪を犯す者が、聞けば聞くほど頑なになる民のもとへ、聖なる方によって天から地へと投げ込まれます。