スピリチュアル・ジャーニー その後 ~真の人間性の回復へのプロセス~ 第八回 夢を通して、自分の心を知る
坂野慧吉(さかの・けいきち)
1941年、東京都生まれ。その後、北海道に移住。福島高校、東京大学卒業。大学生時代にクリスチャンとなり、卒業後、聖書神学舎(現・聖書宣教会)に入学。その後、キリスト者学生会(KGK)の主事を経て、1971年より浦和福音自由教会牧師。
二〇〇一年のスイスでのライフリビジョン・セミナーの時に夢を見た。
私は、重い旅行ケースを右手に持ち、転がしながら自分の目的地に向かっていた。すると突然光景が変わって、牢獄の場面になった。その牢獄は暗くはなく、むしろ明るい感じがした。そして、厚い壁によって仕切られているのではなく、動物園の檻のように、自分の隣の部屋も見ることができた。私は左の牢獄の部屋に入れられていたが、右の部屋には一人の男性が入れられていて、その人物は、牢獄の監守に向かって叫んでいた。「私の荷物と聖書を返してくれ」と。私は「この隣に収監されている人はクリスチャンなのだ」と心の中で思っていた。そして私は看守の顔を見ると、それは私の母であった。
聖書には、夢を通して神のみこころを示された人々のことが記されている。しかし、現代において私たちが見る夢は、無意識に心の底に押し込めてしまっていることが「夢」として現れることが多いのではないかと思う。
セミナーの中で、ハンスが「夢」をどのように理解するかを教えてくれた。第一には「夢の中の登場人物も、その中の出来事もすべて自分自身である」ということであった。第二に夢の「中心」は何かということに注目すべきこと、第三はその中に出てくる「人」や「物」に目をとめ、それが「自分である」ことを認めること、第四にその夢全体の「雰囲気」を感じること、第五に自分がその夢を見て、どのような「感情」を持ったかに気づくことである。
この夢をスイスで見てから二十年近くの年月が過ぎているが、今も良く覚えているのは、この夢をハンスに聞いてもらったからだと思う。彼が寝泊まりしていたのは、小さな家(小屋)であった。その夜は悪天候で、激しい雨が降っていた。私は約束した時間にハンスの小屋を訪ねた。しばらく時間が経ったとき、雷がどこか近くに落ちたのだろうか、停電してしまった。ハンスはロウソクを取り出し、皿の上に置き、それに火を灯した。外は荒れていたが、部屋の中は、明るく、静かな平安に包まれていた。
ハンスは、私が語る「夢」を静かに聞いて、その後いくつかの質問をした。私はそれに答えながら、自分で自分が見た夢の意味を静かに考えた。彼が夢を解釈したのではなく、私自身が自分の心に光を当てられたのであった。
夢の中心は、「牢獄」であった。私は「囚われて」いた。私の隣の牢に入れられていた人は、「自分が大切にしていた聖書と自分の荷物を返してほしい」と牢獄の看守に頼んでいた。私は心の一部ではイエス・キリストを信じ受け入れていた。しかし、自分のすべてでイエスを愛し、イエスにすべてを明け渡してはいなかった。使徒パウロがローマ人への手紙で書いているように、自分の内側が分裂していた。「私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています」(ローマ七・一九)。牢獄の監守は、囚人が逃げ出さないように見張っていた。その看守は母であった。これは、母が私を捕らえていたということではなく、私が母の期待に応えようとして、囚われていたということなのだ。自分を生んでくれた母と父を喜ばせたいと、いつも思っていた。そのために勉強もし、反抗もしなかった。
でもこの牢獄の夢で一つだけ希望が持てたのは、その牢獄が「明るかった」ことである。この囚われからいつか解放される希望があるのだと感じた。
セミナーの中で、ハンスは「父と母から離れる儀式」について教えてくれた。私はA4の紙に父から離れるために、自分の人生の中で経験した父との関係について、「感謝すること」と「赦すこと」を書いた。「感謝」と「赦し」は同数にするように教えられた。父に感謝することは多く思い出された。小さい時に木で車を作ってくれたこと、迷子になった私を捜してくれたこと、中学生になったとき、立派な『英和辞典』や『世界音楽物語』を買ってくれたこと。「赦す」ことについては、なかなか思い出せなかったが、やはり「運動会事件」のこと、やっていないのに怒られたこと。母に対する「感謝」と「赦し」も書いた。戦争中にもかかわらず自分を犠牲にして私たちを育ててくれたこと、また、仕事をして私たちが欲しい物を買ってくれたこと。美味しいご飯を毎日作ってくれたこと、赦しについては、私に過度の期待をしたこと、などであった。
この父と母に対する「感謝」と「赦し」を書いて読み、道で拾った石を選んで「記念の石」として、神に祈りをささげた。そしてスイスから両親に感謝の手紙を書いて送った。このようにして、「父と母から離れる儀式」をした。その後、父と母への感謝が増し、「恨み」はなくなった。