~Daily Light~ 第23回 生きることと生まれること
石居麻耶 Maya Ishii
千葉県出身。アーティスト。画家。イラストレーター。東京藝術大学大学院美術学部デザイン専攻描画造形研究室修了。
大学卒業後の個展やグループ展等の展覧会やホームページ、ブログで発表した作品をきっかけに本の装画、週刊誌、文芸誌、新聞連載のイラストなどの仕事を担当。
赤や黄色に色づく木々が立ち並ぶ道を歩いていると、目に留まったのは細い枝先ではためく一枚の深紅の葉。その葉が風に吹かれて降り積もる落ち葉の中に混ざってしまったら、もう見分けがつかなくなりました。
ウィリアム・サローヤンの『パパ・ユーアクレイジー』(伊丹十三訳、新潮社)という小説には「クリュア」という言葉が出てきます。「クリュア」は、CLEARでSUREな、という意味で登場する主人公の少年の造語です。見定めたいのは、はっきりと確かな、何か信頼できるもの。何かあっても絶望の淵に戻らず、帰ってこられるための。
死んでいる人のことは、「死んだ人」「死んでいる人」とどちらも言ったりしますが、生きている人のことを「生きた」人とは言いにくいですし「生まれている」人とも言いません。死んだ人の時間は止まるけれども、生きている人の時間は動き続け、生きている人は生まれてから死ぬまで日々変わり続けているからでしょうか。
アスファルトの上の落ち葉はほうきで集められごみ袋に詰め込まれていました。土の上の落ち葉は層になってふかふかしており、自然に分解され土に還っています。落ち葉の布団をめくってみるとその様子は良く分かります。無数の落ち葉の中には、青穹の下ではためいていたあの一枚の深紅の葉もどこかにはあるはずで。
秋になると、木は葉が夏の間に太陽の光を浴びて作った栄養を葉から枝や幹に移し、葉に栄養を送ることを止めます。そして冬を越えるために葉は枝から離され、舞い落ちてゆきます。
木が葉を落とすのは「生きるほうを選ぶ」ということなのです。
「私は、いのちと死、祝福とのろいをあなたの前に置く。あなたはいのちを選びなさい。」(申命記30章19節)