スピリチュアル・ジャーニー その後 ~真の人間性の回復へのプロセス~ 第十回 自分の人生から学ぶ⑥
坂野慧吉(さかの・けいきち)
1941年、東京都生まれ。その後、北海道に移住。福島高校、東京大学卒業。大学生時代にクリスチャンとなり、卒業後、聖書神学舎(現・聖書宣教会)に入学。その後、キリスト者学生会(KGK)の主事を経て、1971年より浦和福音自由教会牧師。
大学三年生の時に、イエス・キリストを信じ、洗礼の恵みにあずかったが、今振り返ってみると、聖書のことがよくわかっていなかったと思う。
一九六四年十一月、埼玉県の狭山湖畔の施設でリトリートが開かれた。説教者であったファーター先生が近づいて来て、いきなり「きみは牧師にならないか」と話しかけてきた。私は即座に「私には自分の計画があり、牧師になるつもりはありません」と答えた。三十年後、ドイツでファーター先生にお会いしたとき、「私に牧師にならないか、と言ったのを覚えていますか」と尋ねると、「覚えていない」と答えられた。でも主は先生を用いて私に語りかけられたのだと信じている。
大学四年生になり、卒業後の進路について考え、祈り始めた。その当時、私には二つの選択肢があった。一つは大学院に進み、研究者としての道を進むこと。もう一つは神学校に行くことであった。祈りつつ主のみこころを求めて、聖書を通読していたとき、使徒の働き二六章一六節のみことばが私の心に語りかけてきた。「起き上がって自分の足で立ちなさい。わたしがあなたに現れたのは、あなたがわたしを見たことや、わたしがあなたに示そうとしていることについて、あなたを奉仕者、また証人に任命するためである。」
主が私に語りかけられたと信じて、従うことにした。しかし、同じ大学の祈りの友であった稲葉裕兄やKGKの主事に相談したところ「きみはまだクリスチャンになって間もないので、もっと慎重に祈ったほうがいい」と言われた。しかし、主のみことばに従うことが最善であると信じて決断した。このことを聞いた両親は反対し、「大学まで行かせてやったのに、牧師になるなんて自分勝手だ」と怒った。でも、私は主が示された道を歩むことが、今は反対している両親が救われる道だと信じて神学校に入学した。
聖書神学舎(後の聖書宣教会)は、杉並区の浜田山にあった。毎朝六時から早天祈祷会があり、朝の授業の前に掃除があり、そして授業の中間にチャペルがあった。二階の居室は二人部屋と四人部屋がいくつかあった。授業とともに、部屋の交わりを通して、教えられ訓練を受けた。
入学後のオリエンテーションの時、舎監の舟喜信先生から心構えを教えていただいた。第一は「Teachable」つまり教えられやすい人になれ、ということであった。第二は「セカンドマイル・スピリット」である。主イエスが山上の説教の中で「あなたに一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい」(マタイ五・四一)と語られたことを大事にしなさいということであった。最初の一ミリオンはローマ兵がイスラエル人に命じて重い荷物を運ばせる、しかし二ミリオン目からは、「自分の自由意思で」命令した人とともに荷を担って歩むのだ。主に献身した者として、そのようなスピリットを大切にするようにと教えられた。今でも心に残っている大切な教えだ。
授業はギリシア語、ヘブル語、旧約概論、新約概論、組織神学など多岐にわたっていた。舟喜順一、羽鳥明などの諸先生方が教えてくださった。時には徹夜して宿題を終えることもあったほど、とても厳しい学びであった。その当時は川越の母教会は経済的に余裕がなかったので、反対していた父が学費の一部を出してくれ、また私もアルバイトをしたり、海外のクリスチャンたちの奨学金をいただいたりして凌しのいでいた。あるとき、授業料を払えなくなり、また教会への献金もできない状況に陥った。私は「神様。私は献金したいのです。でもそのためのお金がないのです」と祈った。数日後、私に匿名の手紙が届き、それを開いてみると、献金が入っていた。
神学校入学後の五月のことであった。突然母からの電話が入った。中学から高校、予備校、大学まで同じ学校に通い、一流企業の研究所に抜擢されて働いていたM君が自分のいのちを絶った、という知らせであった。次の日曜日、私は初めて教会の礼拝を休み、葬儀に参列するために福島に向かった。彼の死の理由はわからない。学生時代、私は彼に福音を伝えたが、「教養としては受け入れるが、信仰はもたない」と言っていた。
「M君は人生の勝利者で、慧吉は敗北者だ」と言って、どんなに誘っても礼拝に来ようとしなかった父が、私がM君の葬儀のために福島に行っていた日曜日に、自分の意思で礼拝に出席した。そして、その次の週の礼拝の時に神を信じた。その後、母も信じ、二人そろって洗礼を受ける恵みにあずかった。
「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」 (使徒一六・三一)