ここがヘンだよ、キリスト教!? 第2回 私はパリサイ人?
徳田 信
1978年、兵庫県生まれ。
バプテスト教会での牧師職を経て、現在、フェリス女学院大学教員・大学チャプレン。日本キリスト教団正教師(教務教師)。
先月は「私の信仰の原体験」として、恵みの神を見いだすまでの葛藤を紹介しました。しかし信仰的葛藤はそれで終わらず、まもなく新たな問題と向き合うことになります。きっかけは教会外のクリスチャンたちとの出会いでした。
私が属していたバプテスト系教派(フェローシップ)は「聖書信仰」をうたう点で大きくは福音派に括られます。しかし福音派より、むしろ根本主義者を標榜してきました。「ファンダメンタリズム」は「原理主義」とも訳されるため、一般的にイスラム過激派をイメージさせます。しかし元来は、聖書の純粋な信仰を守ろうとしたキリスト教の運動を指します。二〇世紀前半のアメリカで盛り上がったこの運動は、福音派全体に少なからず影響を与えてきました。
その根本主義にはひとつの特徴があります。分離主義です。それは信仰的純粋さを保つために他教派、特に「リベラルな」他教派から距離を取ることを求めます。なぜなら根本主義の運動自体が、新たなキリスト教理解への抵抗として始まったからです。伝統的な「正しい信仰」を守るための分離主義は、当時の状況としては必要性もあったのでしょう。しかし歴史や状況が異なる今日、どれほどの妥当性があるでしょうか。
私がこの問題と向き合うようになったきっかけは、とあるキリスト教系大学に入学したことでした。そこで私は、他教派のクリスチャンたちと初めて本格的に関わることになりました。書物やネットの情報で知る他教派ではありません。生きて歩んでいる他教派のクリスチャン学生や教員の一人ひとりです。彼ら・彼女らと接するようになり、私ははじめ大きな抵抗感を覚えました。自分の教会で学んできたことと少しでも違うならば、そこにばかり目が向きました。浸礼であるべきバプテスマを洗礼と言っている、クリスチャンなのにお酒を飲む人がいる、夕礼拝をやっていない「不信仰な」教会に行っている……。私の内心に、その人たちを見下すような思いが湧いていました。あまり口には出しませんでしたが、顔には出ていたはずです。
しかしある時、ルカの福音書一八章九~一四節を通して転機が訪れました。パリサイ人と取税人が宮で祈る様子が描かれている箇所です。パリサイ人の祈りは、「神よ。私はほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦淫する者でないこと、あるいは、この取税人のようでないことを感謝します」でした。一方で取税人は、自分の胸を打ちたたきながら言うのです、「神様、こんな罪人の私をあわれんでください」と。このたとえ話は、主イエスが、「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たち」に対して語ったものです。
ハッとしました。自分の姿はまさにパリサイ人そのものだと気づいたのです。他派のクリスチャンを自分のあり方とは違うというだけで批判し、自分を正しいとしていました。信仰の輝きが乏しい自分自身から目を背けるため、枝葉末節にこだわることで自分自身にしがみつこうとしていました。本当に恥ずかしいことです。私が「取税人」として見下していた人たちこそが、「パリサイ人」であった私を寛容な態度で受け入れてくださっていたのです。
この気づきを与えられてから、少しずつ他派のクリスチャンに心が開かれていきました。彼ら・彼女らも同じ神さまを愛し、神さまに愛されていることに気づかされました。神さまというお方自体、それまで教えられてきた教会・教派の理解や実践に留まらない、もっと広いお方であることを教えられました。
コリント人への手紙第一、一三章でパウロは語ります。今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ているように一部分しか知らない、しかし「その時」には顔と顔を合わせて知るように完全に知ることになる、と。その時、つまり私たちがいつの日か主の御前に立ったとき、はじめてすべては明らかになります。そのような終末に至る以前を生きている私たちは、自分ひとりで豊かな真理の全体を知ることは、そもそも求められていません。
もし自分ひとり、自分の教会・教派だけで真理の全体を掴むことができるなら他者は不要です。しかし神はそうなさらず、ご自身の豊かな真理を多様な人々・教会・教派の中に散りばめておられます。他派のクリスチャンも、自分だけでは知りえない神の豊かさを教えていただくために備えられた大切な兄弟姉妹です。ですから私たちは、相互に学び合い、共に神の豊かさを見いだそうと努めるのです。「その時」を待ち望みつつ。
ここに神を知ることと他者を愛することが結びついています。コリント人への手紙第一、一三章が「愛の章」と呼ばれていることは意義深いと感じます。