神さま、 なんで? 〜病院の子どもたちと過ごす日々〜 第二回「おしいれのぼうけん」

久保のどか

広島県瀬戸内の「のどか」な島で育ち、大学時代に神さまと出会う。卒業後、ニュージーランドにて神学と伝道を学ぶ。2006年より淀川キリスト教病院チャプレン室で、2020年より同病院医事部で、小児病棟の子どもたちのパストラルケアに携わる。2012年に開設された「こどもホスピス」でも、子どもたちのたましいに関わり、現在に至る。

小学生のB君は、生まれつき障がいのあるお子さんでした。治療のため数か月の入院が必要でしたが、いつもニコニコとしていて、明るい性格のB君は病棟の人気者でした。B君の周りでは笑い声が絶えませんでした。
あるとき、B君は〝おしいれのぼうけんごっこ〟にはまっていました。『おしいれのぼうけん』は、病棟に設置されていた絵本棚に置かれていた絵本です。内容を少し説明しますと、保育園に通うあきら君とさとし君が先生に叱られて押し入れに閉じ込められてしまい、押し入れの中で二人は大冒険をして恐怖に立ち向かっていくという物語です。
その中に、真っ暗な中で怖がるあきら君にさとし君が手を伸ばして、押し入れの上と下で手を握り合うという場面が描かれています。B君は特にその場面が好きで、ごっこ遊びとして私と二人で毎日繰り返し演じていました。何度も繰り返すので、私はさすがに疲れてしまうのですが、B君は嬉しそうに繰り返しその場面を演じていました。
入院中B君はベッド上安静が必要な日々もありましたが、それにも耐え、無事に退院していきました。
数か月後のある日、救急外来から私に一本の電話がかかってきました。「B君という小学生の患者さんを知っていますか? 救急で搬送されてきたのですが、ご本人が久保さんに来てほしいと言っています。すぐ救急外来まで来てもらえますか?」と言われ、驚きました。救急外来に行くと、B君は医療スタッフに囲まれて横たわっており、表情は非常に硬くて処置されることを全力で拒否していました。
医療スタッフによると、B君は、久保さんが来たら処置を受けるということを約束したのだそうです。ですが、久保さんが登場しても嫌なものは嫌で、B君は処置されることを拒否し続けました。結局、小児科のドクターに諭されたB君は処置を受け、事なきを得ました。
私は何もできなかったので、申し訳ない気持ちと、「なぜ、B君は私を呼んでくれたのだろうか?」という疑問が心に残りました。しばらく考えて思い出したのが“おしいれのぼうけんごっこ”でした。
救急外来で医療スタッフに囲まれたB君は、暗い押し入れの中に閉じ込められ恐怖と戦っていたあきら君の心境と自分を重ねたのかもしれないと思いました。そして、手を握ってくれる仲間がいたら、怖い状況を乗り越えられるかもしれないと無意識的に期待したのかもしれません。
そう思い至ってさらに気づかされたのは、入院して治療を受けるという日々もB君にとっては、大きなピンチの時であったのだということでした。いつもニコニコしていたB君でしたが、数か月の入院生活、治療は彼にとっては大きなストレスで、日々不安を抱いていたに違いありません。B君にとって“おしいれのぼうけんごっこ”は不安や恐怖に何とか対処しようとする無意識のこころの作業であったのかもしれません。
病院を訪れる子どもたち、入院している子どもたちのこころは想像以上に不安と恐怖でいっぱいになっています。たとえ笑顔で過ごせていても、です。
入院中の子どもたちは、大人たちが言うことやすることに対して受け身でいることを強いられることがたくさんあります。大きな恐怖と直面しながら受け身でいる彼らは、思いどおりにならない悔しさや心細さを何度も体験して、自信をなくしてしまいます。
さらに、そのことをなかなか言葉では言い表せないもどかしさもあるでしょう。言葉で表現できない分、こころの中で「なんで? どうして?」と、問い続けている子どもたちもいます。
そのような問いは、入院中子どもたちが経験するたましいの痛みであると私は思っています。そのことを子どもたちに寄り添う大人は忘れてはいけないと、B君との関わりを通して改めて学ばされました。
しかし、私たちにできる寄り添いには限界があるということも確かです。何より覚えていたいことは、神さまが子どもたちに寄り添い続け、ピンチの時にしっかりと手を握っていてくださるということです。そのことに信頼し、祈りつつ、子どもたちのこころに少しでも寄り添う者でありたいと願います。

「わたしがあなたの神、主であり、
あなたの右の手を固く握り、
『恐れるな。わたしがあなたを助ける』
と言う者だからである。」(イザヤ書四一章一三節)