書評Books 聖書の語ることが受け入れがたいとき、どうしたらいいのか
中之条キリスト集会 篠原明
『J・I・パッカー神学小論集
信仰義認と永遠の刑罰』
J・I・パッカー 著
長島勝 編訳
B6判・定価1,980円(税込)
いのちのことば社
パッカーは二〇世紀後半から福音派の中で、多大な影響を与えてきた神学者だ。私を含めて、神学的な問題について「パッカーは何と言っているだろうか」と参考にしてきた人は多いのではないだろうか。
本書は万人救済主義や永遠の刑罰といった問題を扱った論文六編を収めている。なぜ本書が翻訳される必要があったのか。
それは、「聖書の語ることが受け入れがたいとき、どうしたらいいのか」という迷いや求めがあるからではないだろうか。私たちは聖書が神のことばであると信じる者として、「真にみことばに立つこと」を求めている。それでは永遠の刑罰のように、可能なら受け入れたくない聖書の教えに直面したとき、どうしたらいいのか。
たとえば、親しい人や福音を一度も聞いたことのない人々が死後どうなるのかという問題に、私たちは頭を悩ませ、心を痛める。ジレンマの中で福音派の中にも、愛の神は最終的にはすべての人を救うという万人救済主義や、さばきの日以降、救われていない人は地獄で永遠に苦しむこと(永遠の刑罰)はなく、存在しなくなるという霊魂絶滅説に傾く人がいる。
私たちはどうしたらいいのか。本書でパッカーはどこまでも「みことばに忠実であること」を示す。その先駆である宗教改革とピューリタンの伝統に基づいて。受け入れがたい教えを否定したり、修正したりするのではなく、聖書が本来語っていることに立ち返る。「新約聖書を見ると、永遠の刑罰について、それがあたかも問題であるかのような提示の仕方は全くしていません。むしろ聖書は、悔い改めない者に対する懲罰は正しく、それは栄光に満ちた神の義の顕現であり……」(本文六三頁)。「魂が失われると予想する苦悩を和らげる唯一の霊的方法は、その魂を獲得するために行動することです」(一二一頁)。
翻訳した長島勝氏は、私にとってもリージェント・カレッジの大先輩。パッカーの神学と人物を日本人の中で最も深いところで理解している方、最適な訳者である。