特集 この時代の「家族」を考える 家族の基礎は夫婦にある

コロナ禍で、遠方で会えなくなった家族、逆に在宅勤務等で家で顔を合わせる時間が増えた家族―各家庭でさまざまな変化があったなかで、あらためてこの時代の「家族」を考え、親子・夫婦関係に役立つ書籍もご紹介します。

ファミリーファーストジャパン 副理事長  糟谷恵司

 

あなたはどんな父親?
コロナ禍によって自宅勤務の機会も増え、今までにはない家庭環境や家族関係の変化があることでしょう。
私自身は、外資系IT企業に勤務していた時に本社のあるアメリカに赴任・転籍し、ほぼ一〇〇%自宅勤務したこともあり、コロナ禍の約二十年前に同じような経験をしました。サラリーマンとして会社生活に浸っていた私には大きな変化でした。職場が中心の生活から家庭が中心になるので、家族との人間関係が生活の中心になり、家庭内での自分の立ち位置に戸惑いを感じました。それまでは週末だけの父親で、家庭での父親としての役割にはほとんど無関心だったからです。家族と三食を同じテーブルで共にするのが不自然に感じるような生活だったことを思い出します。アメリカでの住居は広かったので、日本での自宅勤務に比べるといいのでしょうが、自分のオフィスもなく苦労したことも覚えています。

そんな父親として大きな転機が訪れました。それは、一年間で両親を亡くしたことをきっかけに、神様が私の信仰への魂の目を開いてくださったことです。それまで蚊帳の外だった食卓での聖書の会話にも花が咲くようになりました。また、教会を通して多くのパパ友が与えられ、父親として、夫として、そしてクリスチャンとしての成長を考えるようになりました。それまでの自分の人生を振り返ると、家族での自分の役割や生き方に関心がなかっただけではなく、特に父親業に関してはほとんど知識がありませんでした。そんななか、信仰の兄弟たちを通して多くのことを学ぶことができました。

たとえば、夫婦関係です。夫婦が家族の基礎です。夫婦関係が良ければ家族関係も良くなる可能性が高く、逆に悪ければ家族関係が良くなることは期待できないでしょう。

聖書の夫婦観
創世記二章に「男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」とあるように、夫婦は神様のデザインですが、困ったことに完璧ではない二人が一つになるわけですから、そう簡単には一体にはなることはできません。結婚式でお互いに、「良いときも悪いときも、豊かであっても貧しくても、病気になっても健康であっても、死別するまで愛を注ぎ、大切にします」と主の御前で誓い合ったとしても、夫婦間の愛は時間の経過とともに薄れ、寛容や親切、がまんなどはどこかに行ってしまいます。信仰、そしてみことばに生きようとしても、「さばいてはいけません。自分がさばかれないためです」(マタイ七・一)を知っていたとしても、生活を共にする夫婦であるからこそ、簡単にさばいてしまうのではないでしょうか。

自宅勤務によって家族との時間が増えれば増えるほど、その確率が高くなります。家事や子育てとなると、互いへの思いや期待感が大きくなり、そこには火花が飛び散ってしまうのです。そこで、私たち夫婦が教わり、互いに励まし合っている一つのモデルを紹介します。それは、神様との三角関係です。その頂点には神様、底辺にはそれぞれ私たち夫婦、つまり夫、妻を描きます。神様を頂点とした三角形でなければ夫婦間は一本の線ですから、つながっている時もあれば、ぶつかる時もあります。しかし、夫婦が神様を頂点とするとき、底辺でのぶつかりや喧嘩があったとしても、神様とのつながりによって、お互いへの寛容が強められるのです。相手にへりくだることができなくても神様にはへりくだることができるのではないでしょうか。

口論になることもありますが、そんな時にしばらく時間を空けてから、一緒に家族のこと、お互いのことを祈ります。そうすると、自分の傲慢さが見えてくるのです。もちろん、簡単ではなく黙り込んだ時もありましたが、二人のルールを約束したことがそのような困難な時にも突破口になりました。

そして、私たちの目標であるキリストに近づく、つまり頂点に近づいていくほど、実は私たち夫婦の距離も近くなっていくのです! 夫婦が同じ信仰をもっていない場合もあるでしょう。でもあきらめないでください。私の妻は、私の救いのために十年間祈り続けてくれました。主は誠実な方です。そして、神様にとって不可能なことは一つもないのです(ルカ一・三七)。

家族との時間、つながりを持つ
もう一つの我が家のルールを紹介します。それは、家族の時間です。自宅勤務によって家族の時間が不自然なものから、必要なものとして変えられました。そして約十年前に家族で話し合って、クリスマスや誕生日のプレゼントを、モノではなく時間を共有することにしました。アメリカでは子どもに十個以上(安価なものも含めて)のクリスマスプレゼントをあげるのが普通ですが、その代わりに家族で外食や旅行をすることにしたのです。この家族のルールは子どもたちが成人になった今でも継続しています。年に一度は一、二週間の海外旅行を家族でするのです。「見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くから」(Ⅱコリント四・一八)なのです。家族の思い出は永遠に心に残り、その思い出や共にした時間であるつながりが家族関係を強めてくれています。
最近、コロナ禍で家庭内暴力や虐待が増えたとのニュースを耳にします。しかし、「危機」の漢字が示すように危険な状況にだけ注目するのではなく、「機会」つまり、父親としての成長のチャンスとしてとらえて、この機会を有効に生かしてみてはどうでしょうか。

最後に、私が翻訳者として携わった『働き方改革より父親改革』の本の一部を紹介をしたいと思います。著者スレイトン氏は、父親の役割を単なる経済的な側面(実際、私自身もそう考えていた時期もありました)でとらえるのではなく、家族(妻や子ども)への全面的な支援を考えていく必要があると言っています。全面的とは、感情的(心の支え)、身体的(肉体の成長や愛情)、知的(知的成長)、精神的・霊的(倫理や道徳・モラル成長)の全人格に対する支援が父親の役割だと定義しています。

もちろん、すべてを上手くこなせる「スーパー・パパ」は存在しないでしょうが、目標をもって意識して父親業に取り組まないかぎり、不完全な父親が、自然と、全面的な支援を行うことはできないでしょう。そして、その生涯続く父親業たるチャレンジに一人で取り組むのでなく、同じ志をもったパパ友を見つけ、励まし合いながら目標に向かって進んでいきたいものです。