特集 この時代の「家族」を考える 変わりゆく「家族のありかた」 ~時代を超えて、変わらないものとは~

上野の森キリスト教会 副牧師  松坂政広

 

「現代の家族」とは、どんな感じでしょうか。戦後の高度経済成長期の家族は、「近代家族」と呼ばれて、お父さんがサラリーマン、お母さんが専業主婦というものでした。性別役割分業意識がより強かった時代ですね。

それが、個人の自立、選択の自由や女性の社会進出がより進んで、夫婦間の役割も固定化されなくなってきています。この意識の変化は、共働き家庭の増加にともない、国の家族への政策も共働き世帯へとシフトしていったミレニアムの新たな幕開けと重なっています。結婚相手も家柄、学歴、国籍などにこだわらず個人が選択する。法的な結婚や性別にもこだわらないといったことも。

理想の家族って、どんなイメージですか。一九七一年に年間十万組を超えた離婚件数は、一九九六年に二十万組を超え、二〇〇二年の二十八万九千八百三十六組をピークに減少傾向にありますが、子どもがいるから離婚しないほうがいいという考えより、子どもがいるから離婚したほうがいいという考えが優位となってきています。再婚も増え、最近では結婚した四組に一組が再婚だった年もありました。家族構成も、より複雑になっているようです。

人生百年時代と言われますが、家族も大事にし、個人も尊重する道はあるでしょうか。国勢調査では、「夫婦と未婚の子からなる」核家族は、全世帯の四分の一で、その相当数が、高齢の親と五十歳を超えた未婚の子の同居で、「八〇五〇問題」と呼ばれたりしています。

一九八〇年に三世代同居が世帯の半数を超えていたのが、二〇一五年には一二%になっています。同じく三十~三十四歳の未婚率は、男性が二一・五%、女性が九・一%でしたが、男性が四七・一%、女性が三四・六%となっています。生涯未婚率は、男性が三割、女性が二割と推計されています。

内閣府の男女共同参画社会に関する世論調査(二〇〇〇年)によると、現代人が、家庭の役割として支持するものは―
一位 精神的安らぎの場が得られる。
二位 子どもを生み育てることにより、生きがいが得られる。
三位 お互いに高め合うことができ、人間として成長できる。
四位 経済的に安定する。
五位 社会的に認められる。
六位 日常生活の上で必要な家事などの負担が軽減される。
七位 老後を支え合える。
このようなことが挙げられていました。

コロナ禍での家族間コミュニケーション
家族内でのつながり、良好な家族関係を構築するには、目の前の人とのコミュニケーションを積極的に取る意識が重要だと言われてきました。「言わなくてもわかってくれるだろう」「わざわざ言わなくてもよい」という考え、思い込みをもってしまいがちかもしれませんが、自然体でありながら、相手を思いやり、気遣い、配慮することもまた大事ですね。

コロナ禍で在宅が増え、それに伴う家族の生活、課題、問題が指摘される中、私たちが目を向け、理解を必要としていることは何でしょうか。「家族愛に関するある調査」によると、コロナ禍で二十代の約半数が家族の距離が縮まったと回答しました。家族との会話が増え、家族に対する理解が深まったと答えたというのです。コロナ禍で、家族を守りたいという気持ちが強くなったことが考えられると言います。

世界中、見えない敵と戦っている中で大切なことは、人としてのつながり、心の寄り添いだと言われます。そもそもコミュニケーションとは、「共有」という意味です。それは、感情、意思、情報などを受け取り合う、伝え合うことですね。それによって、私たちは、安心感、信頼感をもち、心が解放されたりします。

E・H・ポーターは、聴く人の五つの態度(評価的態度・批判的、否定的、比較/解釈的態度・推測、決めつけ/調査的態度・原因追及/支持的態度・励まし、同情、助言/理解的態度・受容、共感)を挙げ、人の話を聴くときには、まず理解的態度を心掛けることを提唱しています。その上で、原因を尋ねたり、支持したりすると話した人がわかってもらえたと実感できると言います。ですから、傾聴が欠かせません。

傾聴とは、「話す人を尊重し、その人の言ったことや感情をそのまま受け止め、聞く人が理解したことを伝え返す」ことです。否定しない、非難しない、評価しない、アドバイスしない、といった態度で話を聴くことですね。相手を知るために質問することや、聴く人の理解を確認することも必要でしょう。

「お母さん、ぼく怖い。」コロナで不安になっている子どもに、「コロナで肺炎になって、死んでしまうと想像すると、怖くなるのね」と。

「うん、テレビで死ぬって言ってた。ぼく、どうしたらいいの?」

「テレビを見て、とっても心配になったのね。お母さんも怖いなあ。だから、手洗いとかうがいとかマスクをして予防を心掛けようね。一緒に気をつけようね。」

「うん、そうだね。わかった。ぼくも気を付けるね。」

聞き上手でない聞き方は、相手の話の途中で質問をしたり、自分の意見を言ったり、話を横取りしたり、聞き手の興味、関心がある箇所だけ聞く、上の空で聞くことだと言います。

コロナ感染の不安や経済的な困難や不自由な生活を余儀なくされている今、家族だけではありませんが、心掛けたいのは、対話ですね。秩序のある討論は、とても意義を感じますが、不用意になされる討論は、自分が正しくて、相手が間違っていて、白黒はっきりさせようということになって、人間関係を育てる方向にはなかなか向かないでしょう。

対話は、話し合った結果、自分が変わることを楽しみにしてなされるもので、相手へのリスペクトと自分へのサスペクトで成り立つのです。現代の家族に最も問われていることは、それなのではないでしょうか。

聖書の神様は、対話する神です。私たちをとりなすお方は、私たちがどうありたいかを問いかける神、私たちが何を信頼するかを導かれる神は、私たちが欺いていても、なお見捨てない神、私たちをとりなし、顧み、慰め、解き放ってくださる神、目の前の人を慈しむことを忘れない神。

そこにあるのは、信頼と感謝の関わりで、私たちの自然体の言動をも許容され、私たちの自発性を引き出され、真理を明らかにされ、真の裁きと赦しへと導かれるお方です。たえず寄り添っていてくださり、私たちを立ち直らせてくださいます。

時代がどのように変わろうとも、このお方は、私たちと共にいることを切望しておられるのです。