ここがヘンだよ、キリスト教!? 第6回 聖餐が生み出す和解

徳田 信
1978年、兵庫県生まれ。
バプテスト教会での牧師職を経て、現在、フェリス女学院大学教員・大学チャプレン。日本キリスト教団正教師(教務教師)。

 

「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、杯を飲むたびに、主が来られるまで主の死を告げ知らせるのです。したがって、もし、ふさわしくない仕方でパンを食べ、主の杯を飲む者があれば、主のからだと血に対して罪を犯すことになります。だれでも、自分自身を吟味して、そのうえでパンを食べ、杯を飲みなさい」(Ⅰコリント11・26~28)。

先月号の冒頭、東欧のチェコ・プラハについて触れました。その留学中のある日曜日、ちょうど「プラハの春」から四十年ということで、街の広場には記念のレリーフが公開されていました。プラハの春は、一九六八年に民主化の機運が高まったチェコにソ連が戦車部隊を送り、その運動を押しつぶした出来事です。私は苦難の歴史に思いを馳せ、それから教会に向かいました。その日の礼拝が、私の聖餐理解を一変させることになりました。

引用聖句は、聖餐式で読まれる「制定語」の一部です。しかし後に学んでみて、最初期の教会では、聖餐は儀式として独立したものではなく、愛餐と同時に行われていたことがわかりました。集会の一部として食事会があり、その中でイエス様のことを覚えながら共にパンを裂き、杯をいただいていたのです。

ところでパウロは、少し前の箇所(20節)で、コリント教会の食事会が「主の晩餐になっていない」と批判しています。初期の教会では、持てる人が持たざる人を助けていました。裕福な人は自宅を集会場として提供したり、献金をしたり、食べ物を持ってきたりします。

しかし、その分かち合いがうまくいっていなかったようです。何か問題が起きるとき、人々は余裕をなくし、弱いところにしわ寄せがくるものです。コリント教会では、一方で富める人たちが贅沢な食事で盛り上がり、他方で貧しい人々は空腹のまま置かれていました。そのような状況では、キリストの名による集まりになっていない、主イエスの晩餐にふさわしくない、というのです。

パウロは、ふさわしくない仕方では罪を犯すことになる、だから自分自身を吟味せよと述べます(27、28節)。「ふさわしくない仕方」とは、具体的にどのような仕方でしょうか。それは「貧しい人を顧みないような仕方」です。この箇所はかつて、「ふさわしくないままで」と訳され、聖餐式の前に一人ひとりが罪を悔い改めるべき勧めとして読まれてきました。しかし、その悔い改めるべき罪とは何かが問題です。コリント教会では、貧しい人々を顧みないという点に、人々の、つまり教会の罪が現れていました。

パウロが「キリストのからだ」と言うとき、一つには、十字架上で釘打たれ裂かれたイエス様の、文字どおりのからだを指します。しかし同時に、キリストの犠牲によって生み出された人々の集まり、つまり教会のことも示しています。聖餐で食するパンは、キリストによる和解を体現する教会の共同体性も示すのです。

それゆえパウロは、ふさわしくない仕方での飲み食いは主のからだ、つまりキリストのからだなる教会に対する罪なのだと言います。教会内での利己的な振る舞いは、イエス様がその血によって贖い出してくださった教会全体に対する罪だというわけです。ですから、さまざまな弱さ、貧しさの中に置かれている人々に対する態度をこそ顧みます。それが「自分自身を吟味して」ということです。

社会が不安定なとき、私たちは心のゆとりを失いがちです。しかしそのような時にこそ、キリストの救いに感謝しつつ、それに「ふさわしい仕方で」歩むようにと促されています。罪は私たちの内面にとどまらず、具体的な人間関係に現れてきます。ですがキリストによる救いも、私たちと神との関係にとどまらず、人間関係に和解をもたらしていきます。

先ほど、プラハで聖餐について教えられたと記しました。私が出席したのは多国籍の人たちが集う集会でした。チェコ人を含め、さまざまな国の人たちが集っていました。そこでの聖餐式は、端から大きなパンが回ってきて、それを自分でちぎって隣の人に渡していく、というやり方でした。そのとき、「これはあなたのために死なれたキリストの体です」と声を掛けて渡します。

ふと見ると、そのようにパンを割き合っていたのは、年配のチェコ人とロシア人でした。明らかにプラハの春を経験した世代の人々です。おわかりでしょうか。かつての敵国同士の人たちが、「これはあなたのために死なれたキリストのからだです」と声を掛け合って、共にパンを裂いていたのです。教会という和解の場を象徴するもの、いや生み出すもの、それが聖餐です。いつの日か、同じ光景がウクライナでも見られますように。