ここがヘンだよ、キリスト教!? 第七回「危険な」礼拝
徳田 信
1978年、兵庫県生まれ。
バプテスト教会での牧師職を経て、現在、フェリス女学院大学教員・大学チャプレン。日本キリスト教団正教師(教務教師)。
「今日もまた礼拝か。お昼は何にしよう。」そんな気持ちで日曜日の朝を迎えることがあるでしょうか。お決まりのプログラムに、お決まりの話の運び。変わり映えしないことの安心感もあります。しかし礼拝とは、時に私たちの人生を揺さぶる「危険」なものになりうるのです。
「週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。パウロは翌日に出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。私たちが集まっていた屋上の間には、ともしびがたくさんついていた。ユテコという名の一人の青年が、窓のところに腰掛けていたが、パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。抱き起こしてみると、もう死んでいた。しかし、パウロは降りて行って彼の上に身をかがめ、抱きかかえて、『心配することはない。まだいのちがあります』と言った。そして、また上がって行ってパンを裂いて食べ、明け方まで長く語り合って、それから出発した。人々は生き返った青年を連れて帰り、ひとかたならず慰められた。」
(使徒20・7~12)
事件は、パウロが伝道旅行に出発する前日に起こりました。「パンを裂くために集まった」とあることから、それは礼拝の時でした。今では聖餐式として一つの儀式になっていますが、当時は食卓を囲みながら礼拝が行われていました。その日はパウロが熱を込めて語っています。講壇からの説教というより、一種のテーブルトークでした。
そのパウロの話ですが、なんと夜中まで続きました。当時多くの人は日中仕事をして、夕方から礼拝に集まったようです。一日の疲れが溜まっていて、お腹が満たされ、さらに延々と続くお話。多くの灯火がゆらゆら揺れています。眠気が襲ってもおかしくありません。そのとき、ドスンと音がしました。窓に腰掛けて聞いていた青年ユテコが、うつらうつらして後ろに倒れ、三階から真っ逆さまに転落したのです。人々はすぐ駆け寄りましたが、打ち所悪く、すでに息がありません。あろうことか、礼拝で命を落としてしまったのです。もちろんこのエピソードは、礼拝中に眠ると大変なことが起こるぞ、ということではありません。しかし、いみじくも礼拝の何たるかが表れています。
ユテコは確かに死にました。しかし、パウロが彼の身体を起こすと、なんと生きています。死んでいたのによみがえったのです。そして礼拝は続けられました。ユテコがその後どうなったのかはわかりません。用心して、窓際に座らなくなったのは確かでしょう。ともかく、ユテコは礼拝の中で死に、よみがえりました。
最近流行りの「マインドフルネス」は、自分の心の声に耳を傾けます。しかし、礼拝はそこにとどまりません。私たちの内側ではなく外側から、つまり神の語りかけに耳を傾けるのです。聖書はその全体をとおして、圧倒的な神の愛を伝え、私たちを安らぎと賛美に導きます。しかしその愛は時に、神の前にある自分と直面させられることで現されます。
礼拝中に事故死するとは、現代でしたら管理責任が問われます。しかし比喩的に捉えるならば、礼拝とは必ずしも安全な時ではない、むしろ危険な時、自分に死ぬことさえある時なのだ、ということを思い起こさせます。
洗礼の様式の一つに、全身を水に沈め、起こす「浸礼」があります。それが表すのは死と復活。イエス様が十字架で死に三日目によみがえったように、私たちも死で終わることなく、いつの日か新しい体をいただいて復活します。神と直面した人は、古い自分に死んで新しい人へとよみがえるのです。礼拝はその予行演習です。
私自身、いつも神様と劇的に出会っているわけではありません。しかしある日の礼拝が、まさにユテコのような人生の転機となりました。聖書箇所は、復活を信じないトマスに対し、イエス様が脇腹の傷痕を示して信じるよう促す場面でした。そこで私は、「見ないで信じる人たちは幸い」(ヨハネ20・29)というイエス様の言葉にガツンときたのです。その頃、牧師の道を歩むよう促されていると感じながら踏み出せないでいました。「社会のレール」から大きく外れ、生活の保証がない道だったからです。しかし、神様に信頼して歩むようにとの強い促しを受けました。
勤務校では毎日チャペル(学内礼拝)があります。自由参加ですので空席も目立ちます。しかし迎える側の願いは、一人ひとりにとって「危険な」時間となること。思いがけず神様と直面し、人生が揺り動かされる、そんな礼拝となることです。あらゆる教会がそのように「危険な」時を提供する場となりますように。