こころを灯す光 第7回 自分を捨てる

頓所 康則
プロフィール
新潟県燕市出身。1985年生まれ。ハガキにペンを使って、その時その時の思いを描く活動をしている。どう生きたらいいかわからなくなった時に聖書に出合い、主イエスを信じる。2019年11月3日、新潟福音教会にてバプテスマを受ける。

 

「それからイエスは弟子たちに言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。』」(マタイの福音書16章24節)

「自分を捨てる」とは、いったいどういうことか。そのことについて考えてみる。
信仰に至る前、私を一番苦しめていたのは「死にたい」という気持ち。いい大人が何一つうまくできなくて、そんな気持ちが湧き上がるたびに「ちゃんと生きろ!」と自分自身に叫び声をあげていた。

自分を責めたところで何の解決にもならなくて、心と体がバラバラになっていく感覚。生きることも、死ぬこともできなくて、何を信じて、何をがんばったらいいかわからなかった。

そんな中で出合った聖書。イエス様のよみがえりは絵空事には聞こえなかった。生きるか、死ぬか、しかなかった私に、「イエス様に従う」という新たな選択肢が生まれた。

信仰を持った今、何か選択しなければいけない場面に出くわしたとして、イエス様が「こちらですよ」と声に出して答えを教えてくれるわけではない。自分で聖書を開いて、イエス様ならどうされるだろうと、自分で考えて選んでいくしかない。「自分を捨てる」とは、自分自身のことを放棄してイエス様任せにするのではなく、「今までの自分勝手な考えを捨てて、イエス様を手本にして生きていく」、そういうことなのだろう。

選択には責任が伴う。決断を下すのは常に自分だ。それが思うような結果にならなかったとしても「あ〜あ、イエス様なんて信じなければよかった」、そんな考えに陥りたくはない。どんな結果になろうとも、自分で選んだ信仰に責任を持って生きていきたい。