こころを灯す光 第8回 いずれ来る時

頓所 康則
プロフィール
新潟県燕市出身。1985年生まれ。ハガキにペンを使って、その時その時の思いを描く活動をしている。どう生きたらいいかわからなくなった時に聖書に出合い、主イエスを信じる。2019年11月3日、新潟福音教会にてバプテスマを受ける。

私が配属された部署の象徴のような女性のご入居者様。物腰の柔らかさ、人柄の良さ、その場の雰囲気を朗らかな空気で満たす、そんなステキな方。接するだけで、元気をいただいた。
「頓所さん!」と、私の名前を呼んでくださったのは一度きり。もともと車椅子に乗って過ごされていたが、次第に足腰が弱り、できることが少しずつ減って、おっしゃっていることが、少しずつわからなくなっていった。

ご自分で箸を持ち、毎食残さずに食べておられた食事。それを残されるようになって、ご自分で箸を持てなくなって、職員がお手伝いをさせてもらうようになった。

ご自分で姿勢を保てなくなり、一日ベッドで過ごされるようになった。オムツの交換はベッド上で。もう、食事はわずかしか摂られていない。高齢であっても、肌ツヤよく柔らかだった身体は痩せ細り、骨張っていた。

最期は静かに息を引き取られた。今までいた人がいなくなり、それでも私はここにいて、日常がそこにあった。

「すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。」(伝道者の書3章1節)

私の祖母は今年で87歳。今でも畑に出ていて、洗濯機は回せるし、料理もできる。
ある日、仕事で疲れ切って帰ってきた私に、「康則、りんご剥こうか?」と祖母が声をかけてくれた。キレイに剥かれたりんご。当たり前のように思っていたこの一時が、どれだけ貴重なものであるかと、実感する。

「生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。」祖母にも、私にも、いずれ来る時。誰にでもやって来る時。それを知ったから、今あるこの時を大切にしよう、そう思えるのだ。