特集 戦争と平和 ~ウクライナへの祈り~ もう「涙」は残っていない
二〇二二年二月二十四日から始まった、ロシアによるウクライナ侵攻。収束の兆しすら見えず、今もウクライナの人々は戦禍の中にいる。七十七年前の八月、終戦を迎え、「平和」と言われる時代を生きてきた私たちにとって、連日の戦争の報道をどのように見るべきなのか、あらためて「平和」とは何かを考える。
クリスチャン・ジャーナリスト フィリップ・ヤンシー
侵略の意図はないと断固として主張していたロシアがウクライナを攻撃している。原子力発電所に落下する砲弾、幼稚園への爆撃、瓦礫となったアパート。車に乗った家族を攻撃する戦車、だれにも付き添われずたった一人で隣国ポーランドに逃げて来た男の子。避難経路が爆撃され、電気も暖房もない氷点下の気温に数週間耐えた後、給湯器から水を飲む住民。産科病院と小児病院を含む多くの医療施設への空爆―
そんなウクライナ人を、全世界が支持している。自国を守るために応戦するウクライナ軍は、世界中のだれよりもウラジーミル・プーチンを驚かしていることだろう。
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ウクライナは、今までもその悲劇的な歴史の中で、苦しみに耐え続けてきたのだ。二〇一八年にこの国を訪れたとき、人間の残虐行為の記念碑を見た。そこは主要な観光地のひとつともなっていた。一九三〇年代、ソビエト連邦はウクライナの農場を没収し、収穫した穀物は政府に徴収され、大規模な飢饉を引き起こした。その飢餓で亡くなった四百万人のウクライナ人を記念したホロドモール(大飢饉)犠牲者追悼国立博物館である。
第二次世界大戦のヒトラーよる占領では、首都キーウだけで百万人の死傷者、地方では戦闘により二万八千の村が破壊され、全土で百万人以上のユダヤ人とウクライナ人が亡くなった。
ヒトラーの敗北後、四十年間にも及ぶソ連による占領。ソ連の崩壊後、ウクライナはついに独立する機会を得た。一九九〇年、三十万人のウクライナ人がキーウからリビウまでの三四〇マイル(約五五〇キロ)のルートに沿って手を結び、結束を誇示して人間の鎖を作った。
翌年、人口の九二パーセントが、ロシアからの独立に投票した。そして新国家は、安全保障と引き換えに核兵器(世界第三位の保有)を放棄した。そのときロシアは署名国の一つとして、ウクライナの領土保全を尊重することに合意した。
二〇〇四年のオレンジ革命、二〇一四年のマイダン(尊厳)革命、いずれも親ロシア派の支配者を退けるものだった。そのマイダン革命の最中、ロシアはクリミア半島と他の二つの地域を占領した。その小さな戦争を開始することで、現在、私たちが目にしている本格的な侵略の舞台が調ったのだ。
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多くの人々は、ウクライナでの死と荒廃を目にして、無力な絶望感を感じている。自由を愛する我々は再び敗北するのだろうか。どう祈ればいいのだろう。
私はまず、ウクライナ国内に残されている人々のために祈る。彼らは、ミサイルが頭上を飛び交い、戦車が自宅や病院を標的にしている中で、必死に生き残ろうとしている。
難民となった人々のために祈る。周辺国に何とか逃れた人、幸運にも、英国、フランス、カナダ、米国など遠方の国に逃れることのできた数千人のために。そして今は国に残って、侵略者を撃退するために命を危険にさらしている夫や父親のために。難民を受け入れ、無償で宿泊施設を提供しているホストファミリーのために。
ウクライナで活動していた宣教団体のために祈る。激しい戦闘のあったイルピンに拠点を置く団体のリーダーは、最近次のように報告した。
「私たちはまったく新しいレベルで愛すること、憎むことを学んだ。私たちの存在の核の部分で、悪を憎むとはどういうことなのか、真理を愛するとはどういうことなのかを。私たちを自由にする真理。もう涙など残っていない。ただ、私たちに行われたすべての不正に対して怒っている。そして、今こそ万軍の主に、その義なる審判を示すよう求めている。」
ロシアの兵士たちのために祈る。英国の諜報機関は、彼らが電話でパニックになっている会話を傍受した。解放者として歓迎されるはずだったのに、ウクライナ人からの抵抗に遭い、血なまぐさい戦争の真っただ中にいることに、兵士たちが気づいてしまったからだ。
この出来事をまったく異なる話として聞かされているロシアの人々のために祈る。これは限定的な軍事作戦で、民間人の死傷者はほとんどなく、一方で西側は我々の国に敵対し、経済的に絞め殺そうとしているのだ、と聞かされている人々のために。ロシアでは戦争に抗議する人は誰でも逮捕され、ソーシャルメディアで「戦争」という言葉を使うだけで刑務所に入れられる可能性がある。
自分の国のために祈る。ガス価格の高騰や株式市場の下落にうんざりして、自由と正義を支持する人々を支えることを忘れることのないように。
もちろん、ウラジーミル・プーチンのためにも祈っている。イエスは私たちに、敵を愛し、迫害する人々のために祈るように言われた。独裁者が心の変化を経験するには、ネブカドネツァルに起きたような奇跡が必要なのだ。
北米聖公会の司祭であるティッシュ・ハリソン・ウォーレンは、ウクライナ人の父親が幼い息子の血に染まった遺体を抱えている画像を見て、母性から湧き上がる怒りを感じた。「ロシアの指導者が隣国の主権国家を自分のものとしようとしたため、罪のない子どもが無残に殺された。」
そして彼女は、悪に対する神の裁きを呼び求める呪いの詩篇の中に、奇妙な種類の慰めを見つけたと言う。
「これが私たちの住む世界だ。私たちはただ手をつないでゴスペルを歌い、何とかなるだろうと思っているわけにはいかない。邪悪なものに対して裁きを求め、その悪に対して憤慨していることを表現する言葉が必要なのだ。」
クリスチャンに対してプーチンは教訓を残してくれた。ソビエト連邦の崩壊後、以前は無神論だったロシアが公立学校で聖書を教え、キリスト教大学を設立し、多くの宣教団体、外国人宣教師を温かく迎え入れた。彼らの多くは、教会を再建したプーチンを、ロシア版の「文化戦争」における自分たちの味方だと称賛した。
しかし今回、結局は外国からの宣教団体は、プーチンとその確固たる支持者であるロシア正教会との戦略的同盟によって追い出された。プーチンが忠実な支持者を獲得するとともに、ロシア正教会は権力と政府に結びついたのである。
アメリカの神学者ラッセル・ムーアは次のよう述べている。
「福音派のクリスチャンは、ウラジーミル・プーチンのやり方を注視する必要がある。そして、敵から我々を守るためには強力なリーダーが必要だ、との声が上がるたびに、そのやり方を思い出さなければいけない。そんな事が起こればいつでも、いかなる言語においても、否、と言うことを忘れてはならない。」
(二〇二二年三月十七日掲載のフィリップ・ヤンシー氏ブログより〔写真も〕。抜粋、要約・編集部)