336 時代を見る眼 「平和をつくる者」として生きる〔3〕攻撃ではなく敬意を

日本ナザレン教団・鹿児島教会 牧師
久保木聡

「もはやライバルですらない。」

そう言われた男は怒りにふるえました。かつて世界で1、2位を争う存在であったのが、気がつけば格下扱いに。慕ってついてきたと思った奴らはどんどん自分のもとを離れ、あのライバルのところへと集まっていきます。激しい無力感と寂しさが彼を襲います。「俺がどれだけすごいか見せてやる!」

この男の名は、ウラジミール・プーチン。ロシア連邦の大統領。2014年に強引にクリミアを併合し、2022年2月からウクライナへ軍事侵攻を続けています。

市場経済において、ロシアは欧米に太刀打ちできません。「人権を尊重しろ!」と欧米から言われますが、欧米的に人権を尊重するなら、自分の政権基盤があやうくなります。

国際人権規約にしろ、戦時国際法にしろ、普遍性を謳っているとはいえ、所しょせんは欧米のつくったルール。そんなルールを守ったって勝てやしないのなら、無視すればいい。憶測にすぎませんが、プーチンはそんな思いで軍事侵攻を命令しているように思えます。

「『もしあなたの敵が飢えているなら食べさせ、/渇いているなら飲ませよ。……』悪に負けてはいけません。むしろ、善をもって悪に打ち勝ちなさい」(ローマ12・20~21)。

ロシアを軍事力で撃退すべきと思うかもしれませんが、聖書は、敵の飢え渇きを満たしなさい、善をもって悪に打ち勝ちなさい、と教えます。

もちろん、武力による現状変更に対しては毅然としたNO!の態度が必要です。

しかし、それだけでなく、敬意に飢え渇いたプーチンに、人権侵害以外の手段によって健全な誇りを取り戻させることも必要です。ロシアを敵と見るのでなく、その歴史、文化も含め敬意を払い、共に生きる大切な仲間として歩もうとする。それとともに、ウクライナには復興をもたらす姿勢を持ち、どちらをも愛することが、キリストに従う道だと思うのです。

「あんなひどいことをしたロシア、そしてプーチンを赦せない!」と思いたくもなります。とはいえ、キリストを十字架で殺さなければならない点においては、わたしたちも同じ罪人です。そんな中、神から問われているように思うのです。

「お前は赦され、愛されている者としてプーチンを赦し、愛しますか?」と。