ここがヘンだよ、キリスト教!? 第9回 正しいキリスト教の基準
徳田 信
1978年、兵庫県生まれ。
バプテスト教会での牧師職を経て、現在、フェリス女学院大学教員・大学チャプレン。日本キリスト教団正教師(教務教師)。
「何をもって正しいキリスト教と言えるか。」私があるキリスト教主義大学の学生だったとき、先生から投げかけられた問いです。自信満々に「もちろん聖書です」と答えました。しかし即座に別の学生が「いや、使徒信条です」と声を上げました。使徒信条について聞いたこともなかった当時、その答えはピンと来ませんでした。しかし後に、それほど間違っていないと思うようになりました。
「聖書のみ」を奉じるプロテスタント諸教会にとって、聖書は信仰の拠り所です。神の息が吹き込まれた特別な書物と信じるからです。この聖書を通して、神がどういう方か、私たち人間が神の目にどう見られているのか、神が私たちに対して何をしてくださったのか、つまり福音を学ぼうとします。
しかし、福音を知るためには聖書を知ればよいと言われ、聖書をいきなりポンと渡されたらいかがでしょうか。ここに真理がある、ここに救いがあると言われても、聖書はあまりにも分厚すぎます。全体を読み通すことさえ簡単ではありません。書かれた時代や文化も今とは大きく違い、理解の難しい箇所も多くあります。
そこに、教会に説教者が与えられている理由の一つがあります。実際、多くのキリスト者が説教によって聖書の真理を学び、神のことばとして受け止めてきました。しかし私たちはなぜ、教会で学ぶ聖書の読み方を信頼できるのでしょうか。牧師が「聖書はこう語っている」と言っても、信用してよいのでしょうか。牧師は確かに神学校などで勉強し、聖書についてよく知っているかもしれません。しかし完璧ではありません。いつも国語のテストで満点を取れるわけではないのです。聖書の福音が正しく理解され、解き明かされているか、どこで判断すればよいのでしょう。
一つの基準となるもの、それが「信条」です。初期の教会において、キリスト教信仰を告白するとは時に文字どおり命がけでした。社会の少数者として肩身の狭い思いをする、というだけではありません。小説『クオ・ヴァディス』が描くように、激しい迫害に遭い、時にライオンの餌食とされる立場になることを意味しました。キリスト教の神を信じるとは、「鰯の頭も信心から」のように曖昧な存在を信じることではありません。人はそのようなものに命を預けようとは思わないはずです。
そのような背景の中で、新約聖書の時代から三世紀頃にかけて、ある短い文言が生まれました。洗礼時の信仰告白と結びついた「信仰の基準」です。十字架と復活に至るキリストの生涯に示された神の愛に触れ、その愛に人生を懸けること、それがキリスト者になること、洗礼を受けることでした。一人ひとりが、キリストを通して示された神の恵みを味わい、喜び、その応答として「我信ず」と告白するよう促されたのです。人は「信仰の基準」に沿って信仰を告白し、洗礼を受けることによって目に見えるかたちで告白しました。
そのような「信仰の基準」から発展したのが信条、とりわけ「使徒信条」など基本信条と言われるものです。信条は誰かが勝手に考え出し、「これを信じよ」と人々に押し付けたものではありません。信条とは福音そのものとさえ言うことができます。なぜなら、「信仰の基準」は新約聖書の内容、特にコリント人への手紙第一、一五章を肉付けしたもので、福音の最も短い要約だからです。
なぜ福音を要約するのでしょうか。それは、聖書全体は木々が生い茂った森のようなもので、簡単には全体を把握できないからです。木を見て森を見ずという譬えがあるように、一部だけに注目していれば全体像を見誤ります。全体を眺める地図があって初めて、迷うことなく進んでいくことができます。その地図の役割を果たすのが信条です。
ところで、「我らの主、イエス・キリストを信ず」というように、使徒信条には「我らは信ず」が含まれています。キリストの救いの御業は、聖霊の働きによって、罪の赦しや永遠のいのち、身体のよみがえりに結実します。しかしその救いは、個人の救いにとどまりません。イエスの心を心とし、そこに生きようとする人々の交わり、新しい共同体の姿が現れてくるからです。救いには、そのような「共同体に生きること」も含まれるのです。
信仰は英雄的にただ一人で貫き通す、というものではありません。互いに支え合い、励まし合っていくものです。それは日頃顔を合わせる地域教会を軸としますが、そこにとどまりません。教派教団の垣根を超え、私たちは古からの多くの証人に雲のように囲まれています。「我信ず」と告白するとき、その声には数多の「我信ず」が重なっているのです。