神さま、 なんで? 〜病院の子どもたちと過ごす日々〜 第一〇回 「優しいイエスさま ②」

久保のどか
広島県瀬戸内の「のどか」な島で育ち、大学時代に神さまと出会う。卒業後、ニュージーランドにて神学と伝道を学ぶ。2006年より淀川キリスト教病院チャプレン室で、2020年より同病院医事部で、小児病棟の子どもたちのパストラルケアに携わる。2012年に開設された「こどもホスピス」でも、子どもたちのたましいに関わり、現在に至る。

 

お母さんとお話ししながら、人に弱音を吐いたり病気に対するつらさを訴えたりすることのなかったLちゃんは、どのような思いで厳しい闘病生活を過ごしていたのだろうか、と私は想いを巡らせていました。すると、お母さんが「そうだ。Lの使っていた聖書を見ますか」と、聖書を持って来て見せてくださいました。その聖書を開いて、本当にびっくりしました。聖書のあちこちに多くの付箋が付けられて、たくさんの御言葉にえんぴつや赤えんぴつで線や印が付けられていたのです。その聖書を見て、闘病中のLちゃんと神さまとの会話が聞こえてくるような気がしました。彼女の思いが伝わってくるようでした。Lちゃんが本当に神さまとたくさんお話をしていたということをあらためて感じました。

以下はLちゃんの聖書(新共同訳)に印が付けられていた御言葉のほんの一部です。
・「人間に頼らず、主を避けどころとしよう。」
(詩編一一八編八節)
・「恐れることはない、わたしはあなたと共にいる神。
 たじろぐな、わたしはあなたの神。
 勢いを与えてあなたを助け
 わたしの救いの右の手であなたを支える。」
(イザヤ書四一章一〇節)
・「人の心には多くの計らいがある。
 主の御旨のみが実現する。」(箴言一九章二一節)
・「イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。」(ヘブライ人への手紙一〇章二〇節)
・「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」(テモテへの手紙二 四章二節)
「聖書を開くと、神さまからの語りかけが聞こえてくる」と、ある宣教師が話していました。聖書の言葉はそれくらい個人的に私たちの心の奥深くに届く、生きた神さまの声であるということを語ったものです。Lちゃんの聖書を見たときに、この言葉を思い出しました。神さまは、私たち一人ひとりの心深くに語りかけてくださる方であり、そしてその神さまの声は他のだれの言葉よりも深く私たちのたましいに響き、私たちの「生きる」を支えるということを、私はあらためて教えられました。

Lちゃんはまさに祈りの人でした。人に見せる祈りをするのではなく、神さまに向かって深く、静かに祈る信仰者でした。Lちゃんは、「イエスさまのことをお友だちに伝えることが私のお仕事だ」と言っていました。

彼女がそのように言えたのは、神さまに向かって語りかけ、神さまからの声に耳を澄ませて祈ることを続けていたからでしょう。

そのような神さまとのやりとりをしながらLちゃんは、自分の病気やいのちと向き合っていたのでしょう。心の中に恐れが迫ってくることや、身体のしんどさとともに言葉にならない悔しさや悲しさを覚えることもあったかもしれません。

それでも、彼女は聖書を開いて、神さまと向き合い続けたのでしょう。Lちゃんの聖書からは、神さまに向かい続け、神さまの言葉を受け取るなかで、人ではなく神さまに拠り頼もうと努めた強い意志を感じるとともに、神さまと真剣に取っ組み合う信仰者の姿を見せられました。

優しいイエスさまのまなざしのなか、Lちゃんは最期まで信仰者として、与えられたいのちを生き抜いたのだと、私は尊敬の思いでいっぱいになりました。そして、Lちゃんの聖書をめくり、印が付けられた御言葉を読みながら、Lちゃんのこころと向き合わせてもらったようにも感じました。

「Lと過ごしたこどもホスピスでの時間は本当に豊かな、尊い時間でした」と、お母さんがお話しくださいました。私たちにとっても、こどもホスピス病棟でLちゃんやご家族と一緒に過ごさせていただいた時間や、皆さんとの出会いはかけがえのない尊いものです。

同じ神さまを信じる私にとっても、イエス・キリストを愛する信仰者であるLちゃんと過ごした時間は、豊かな時だったと今あらためて感じます。そして、Lちゃんから教えてもらった神さまの深い真理は、「私も神さまとともに歩む者でありたい」との思いを励ましてくれる力強い支えです。

Lちゃんが書き残してくれた聖書の御言葉は、今も福音の種としてご家族をはじめ多くの方々のたましいに届けられています。

~わたしの好きな御言葉 by L~
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書三章一六節)