京都のすみっこの 小さなキリスト教書店にて 第二回 本屋さんが町から消えていくのはなぜ?

CLCからしだね書店店長 坂岡恵
略歴
社会福祉法人ミッションからしだね、就労継続支援A・B型事業所からしだねワークス施設長。精神保健福祉士。社会福祉士。介護福祉士。2021年より、CLCからしだね書店店長。

 

ひと昔前、町のあちこちにあった小さな本屋さんが、なぜ今はないのか? その最大の理由は、インターネットが普及したことではないかと、私は考えています。

本や雑誌、新聞を買わなくても、インターネットを開けばさまざまな情報があふれています。内容の信憑性、質を問わなければ、インターネットだけでも十分楽しむことができるのかもしれません。

みんな、本を買わなくなりました。

それでもやっぱり、出版社がそれぞれのポリシーのもと、責任をもって出している本は、プロの仕上がりです。質を求めてプロの作家が書き、プロの編集者の目と手を通ったプロの作品を読みたい人は、本を買います。インターネットで検索すれば、自分の好みの本が見つかります。そして、ネット上のカートに、ポチっと放り込みます。

みんな、町の本屋さんで、本を買わなくなりました。

もともと、町の本屋さんは薄利多売で成り立っていたのだと、書店の店長になって初めて知りました。

飲食店の見込む粗利(売上から材料費を差し引いた利益)は、およそ七割ですが、全国の本屋さんからすると、これは超々うらやましいかぎりの数字です。薄い粗利の中から、すべての経費(家賃、人件費、水道光熱費、通信運搬費、税金等)をやりくりしなければならず、それでも、書き手、出版社、卸店等と利益を分け合うわけですから、仕方のないことです。

書店を始めるとき、「今の時代、カード決済、ネット販売、図書カードなんか、あたりまえだし」と、いろいろ調べて導入しようと考えたのですが、その手数料だけで粗利が飛んでしまうことがわかり、泣く泣く断念しました。

CLCからしだね書店が、経済的になんとか成り立っているのは、これを障がい者の就労支援の一環として行っているからです。書店員は職業指導員(就労訓練を受ける障がい者と一緒に働きます)でもあるので、経費のなかでも大きな割合を占める人件費は、書店の粗利からではなく、福祉施設会計から支出できるのです。そして、純利益はすべて訓練を受けながら働く人たちの工賃になります。

書店を引き継ごうと動き始めたとき、町の書店がなくなっていくことは、じつは出版業界全体に及ぶ大問題であり、日本の活字文化や信頼できる情報源の質をどう担保していくかの大問題なのだと思いました。町の小さな書店は、言論や心の自由、信教の自由、民主主義を根っこの部分で支えてきたのではないかとも思いました。

フィリピンでは今、新大統領のもと、その父親であるマルコスの独裁政権下で起きた民主化運動(数万人の市民が虐殺されました)が、SNS(インターネット交流サービス)によってなかったことにされつつあるとのことです。これに危機感をもった人たちが、当時の新聞記事や書籍をデジタル保存する活動を行っていて、同時にそれらの資料や本を守り続けてきたのが、マニラにある小さな書店なのだそうです。

そこまで深刻な状況に至らないとしても、町にいっぱい本屋さんがあって、硬貨を握りしめた子どもたちがお目当てのマンガを買いに行く。ついでに店内をぐるっとまわって、自分にはまだよくわからないたくさんのジャンルの本があるのをながめている。気になる本をちょっと手に取って開いてみる。そんな習慣、文化が、私たちの心の自由、ひいては信仰することの自由を育んでいると考えるのは、大げさなことでしょうか。

キリスト教書店には、教会に行けない事情を抱えた人もやって来ます。そこで手にとった一冊の本、小さなみことば入りの絵はがき、薄い聖書の分冊が、その人の人生を支える力になるかもしれません。

けれども、キリスト教の出版業界は、市場そのものが小さいので、とても厳しいところに立っていると思います。

うちの書店だけかもしれませんが、月刊誌の購読者数は、減ることはあっても、増えることはなかなかないのが現状です。書店を引き継いでからも、いくつかの雑誌が、継続発行困難になって消えていきました。イエス様によっていのちをいただいた多様な書き手が、その人にしか編み出せないことばを使って、幅広い層の人たちにいのちのことばを届けていくためには、書く場を守り書籍の質を守っていく出版社も、出版社と書店を取り次ぐ卸店も、みんなとても大切です。

書店も卸店も出版社も書き手も、本や文書という形のいのちのことばが消えてしまわないよう奮闘中です。書店を裾野にして、本に親しむ人たちが増えていきますようにと祈らずにはおれません。