ギリシア語で読む聖書 第7回 「ほかの福音」(エテロス)と(アロス)

杉山世民
【プロフィール】
林野キリストの教会(岡山県美作市)牧師。大阪聖書学院、シンシナティー神学校、アテネ大学に学ぶ。アメリカとギリシアへの留学経験が豊富で、英語とギリシア語に
精通。

最近のキリスト教について書かれたものなどを見ていると、「福音」という言葉が曖昧で、キリスト教的なものを漠然と「福音」と呼んでいるような、そんな印象さえ受けています。パウロほど「福音」について必死に擁護し、正しく定義しようと努力した人はいません。ガラテヤ人への手紙は、その最たるものの一つです。この書簡の中で、パウロは、「福音」が何であって何でないかを、燃えるように激しく、挑戦的にムキになって書き綴っています。
ガラテヤ人への手紙1章6~9節では、パウロの憤りさえ感ぜられる言葉遣いがなされています。特に、6節と7節に注目してみます。「私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。」この訳の中で「ほかの」と訳されているギリシア語が、(エテロス)であり、「もう一つ別に」と訳されているのが、(アロス)という言葉です(左上の逐語解析参照)。
ガラテヤの人たちの移り気な性格というだけでは済まされない深刻な事態が、ガラテヤの教会で起こっていたと考えるべきでしょう。ガラテヤ教会の中には、パウロが宣べ伝える福音と本質的に異なる福音、つまり「ほかの福音」へと落ちていく者がいたと思われます。パウロは、7節の冒頭で「もう一つ別の福音など存在しない」と言って、ガラテヤ人たちが「これも福音ではないか?」と考えていたことを明白にキッパリと否定したのです。
ここで、とが、同じような意味合いを持ちながら、パウロは、はっきりと違う意味合いで使っているように思われます。は「もう一つの、別のother, another」という意味ですが、ガラテヤ人への手紙では「異質の」という意味合いで用いられています。この言葉の類義語にがあり、は、同種のものの間の「もう一つ」ですが、は、異種の、質的に相違していて区別されることを表しています。
英語でheterogeneousというと、「異質な」とか「異分子から成る」といったような定義がなされます。私は、アテネ大学の神学部の学生寮に入らせていただいたときに、はっきりと自分はギリシア正教徒(Greek Orthodox: )ではなく、プロテスタントの立場であることを表明しました。それでも学生寮に入れてくださったことを今でも感謝していますが、やはり、その中で自分がheterodoxy: であることを感じました。
「異質の福音」とは、イエス・キリストの十字架の恵みだけでは足りない、モーセの律法や慣例を守る必要がある(ガラテヤ2・21、使徒15・1)と主張し、キリストの義だけでは足りない、プラスαである「律法による人間的義」をも救いに必要であることを主張する、きわめて微妙な「道徳主義者」であったと考えられます。しかし、パウロは、「信仰(のみ)」を主張したのでした(ガラテヤ3・12、15、5・6、6・14~15参照)。